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真実の日本の歴史 〜 戦前教科書 尋常小学 国史より
第二十二 後醍醐天皇

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(2017.3.25)
戦後のド腐れ歴史教育に染められた日本中を震撼させた、百年前、戦前の歴史教科書準拠参考書の神代・古代史の掲載に続き、お待たせしておりましたが、今回は戦前の国定歴史教科書 尋常小学国史から掲載していきます(昭和10年版を採用。もちろん図表類も戦前の学習資料から取り入れます。現代日本人にわかりやすくするため、仮名遣い表記は現代に近づけます)。

戦前の子供たちが学び、現代日本ではまるで教えられていないものに、建武の中興や後醍醐帝の正当性があります。なのでもちろん、本日、第一回目のテーマはこれです。これを知らずして戦前の人々の思いは理解できません。今の左翼史観では南朝と呼ばれる吉野朝の華麗なる忠臣たちが続々登場する時代、逆賊 足利尊氏の不逞、現代と全く異なる戦前歴史教育の一大キーポイントであり、後に天皇が、武士(徳川幕府)から政権奪回した明治維新達成(大政奉還)の本来の意義につながります。また今では建武の新政と教えられているものも、天皇陛下あっての日本という見方からすれば、建武の中興が正しいのです。そして戦後、政権は天皇の元から再び奪われ、今また日本は危機を迎えており、再び取り返さねばならない時が来ているのです。

【「尋常小学 国史より」シリーズ 目次はコチラ】

◆     ◆     ◆     ◆     ◆     ◆     ◆
尋常小学国史 第二十二 後醍醐天皇

天皇が政権を取り戻そうとなさった
弘安の役から40年ばかりたって、第96代 後醍醐天皇が御位にお即きになった。天皇は、後宇多天皇の御子で、聡明な御生まれつきであらせられたから、お小さい時から、御祖父の亀山上皇にたいそうかわいがられていらっしゃった。また学者を召して、広く学問をお修めになり、政治に御心をお用いになって、早くから鎌倉幕府のわがままなふるまいをお怒りになっていたから、後鳥羽上皇の御志をついで、政権を朝廷に取り戻そうとお考えになった。
北條高時
この頃、幕府では、北条時宗の孫の高時が政治を行っていたが、おろかな生まれつきで、昼となく夜となく宴会を催したり、数千匹の犬を集めて、そのかみ合いを見物したりして、少しも政治に力を入れなかったため、たいへん人望を失った。
天皇が笠置山に行幸をなさった
そこで、天皇は、かねてからの御志をしとげるのはこの時であると、ひそかに武士をお召しになった。ところが、この事が、いつのまにか、鎌倉に漏れ聞こえたので、高時は大いに驚き、急に兵を京都へ上がらせて来た。天皇は、これをお避けになって、山城の笠置(かさぎ)山に行幸をなさった。
楠木正成が行在所にまいった
河内の国 金剛山の麓に住んでいた楠木正成は、天皇の御召によって、まっさきに笠置の行在所(あんざいしょ)にまいった。そうして、天皇に拝謁して、「賊軍がどんなに強くても、謀をめぐらせば、これをうち破ることは、さほどむづかしくはありせん。けれども、勝敗は軍の習(ならい)でありますから、たまには敗れることがあっても、決して御心配下さいますな。正成一人なお生きているとお聞きなさっている間は、御運はいつかお開けになるものと、御心を安らかにしていらっしゃるようお願い申します。」と力強く申し上げた。それから、河内に帰って赤坂に城を築き、天皇をお迎え申そうとした。が、まもなく賊軍が笠置をおとしいれてしまった。
天皇が隠岐におうつされになった
天皇は、藤原藤房(ふぢふさ)らを従がえられ、御徒歩(かち)で笠置をおのがれになったが、その途中の御難儀は、まことにおそれ多く、昼はかくれ、夜になると、あてもなくさまよわせられる御有様であった。お供の藤房らは、三日の間も、食事をしなかったため、身も心もすっかり疲れはてて、しばらく木かげに休んでいた。その時、こずえの露が落ちて、天皇の御衣をぬらしたので、天皇は、

さしてゆく 笠置の山を出でしより、
  あめが下にはかくれがもなし。

とおよみになった。藤房は、もったいなさに、涙をおさえながら、

いかにせん 頼むかげとて立ち寄れば、
  なほ袖ぬらす松のしたつゆ。

とお答え申し上げた。まもなく、天皇は、賊兵に捕らわれて、隠岐の島におうつされになった。
護良親王が吉野にたてこもられた
笠置が破れた後、賊軍は赤坂城を囲んで、とうとうこれをおとしいれてしまった。正成は、そこをのがれて、しばらく隠れていたが、ほどなく、ふたたび兵を集めて、城を金剛山の千早(ちはや)に築いた。天皇の御子 護良(もりなが)親王もまた、吉野にたてこもって、義兵を四方にお募りになった。けれども、すぐ賊の大群がおし寄せて来たので、吉野がまず陥った。この時、村上義光が親王の御鎧をいただき、これを着て、自ら親王と偽って自害したので、親王はやっと危ない難をおのがれになった。
正成が千早城にたてこもった
一方、正成は、わずかの兵を率いて千早城にたてこもり、さまざまに謀をめぐらして、たびたび賊軍を悩ました。この間に、国々では、親王の御命令を受けて、勤王の軍を起すものが多くなった。
天皇が伯耆に渡って名和長年をお召しになった
天皇は、この有様をお聞きになると、ひそかに隠岐から伯耆(ほうき・今の鳥取県西部)に渡って、その地の豪族 名和長年(なわながとし)をお召しになった。長年は、天皇の仰せを受けて大いに感激し、ただちに一族を呼び集めてこの事を伝えた。皆いずれも奮いたって、「この度、天皇の仰せをいただいたことは、この上もないわが家の名誉である。天皇の御ためには、たとい屍を戦場にさらしても、名を後の世に残さねばならない。急いでお迎えにまいろう。」といって、大急ぎで行宮を船上山(せんじょうさん)に造り、ここに天皇をお迎えして、兵を集めてお守り申し上げた。

足利尊氏らが六波羅をほろぼした
そこで、天皇は、大勢の大将をやって、六波羅を攻めさせられた。高時は、これを聞いて大いに驚き、足利尊氏らにいいつけて、急いで兵を率いて京都へ上らせた。ところが、尊氏は源義家の子孫であるから、かねがね北條氏の下にいることを不平に思っていた。それ故、この時にわかに朝廷に従い、勤王の人々と力を合わせて、賊軍を討ち、とうとう六波羅をおとしいれた。よって、天皇は、さっそく船上山をお出ましになり、京都へお向いになった。
新田義貞が鎌倉をおとしいれた
新田義貞もまた、義家の子孫である。さきに、賊軍に従って千早城を攻めたが、前々から、朝廷にお味方しようと考えていた。そこで、ひそかに護良親王の御命令を受けると、病と偽って上野(こうつけ)に帰り、義兵を起した。そうして、進んで鎌倉を攻め、稲村崎(いなむらがさき)からうち入って、高時らを破って北條氏を滅ぼした。頼朝以来140年餘り続いた鎌倉幕府はここに滅びてしまった。
天皇が京都におかえりになった
船上山から京都へ向わせられた天皇が、兵庫にお着きになった時、義貞の使が来て、鎌倉を平げたことを申しあげた。正成も、また、部下を率いて兵庫に来た。天皇は、正成を御そば近くにお召しになって、大いにその手柄をお褒めになり、正成を前躯(ぜんく)として京都にお帰りになった。時に紀元1993年(元弘3年)であった。
建武の中興
これから、天皇は、御自ら天下の政治を行わせられることになった。そうして、護良親王は、その御手柄によって、征夷大将軍におなりになり、尊氏・義貞・正成・長年らも、皆それぞれあつく賞せられた。こうして、政権は再び昔のように朝廷にかえった。この時、年号が建武と改ったので、世にこれを建武の中興というのである。

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