日本の面影

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真実の日本の歴史 〜 戦前の日本史教科書準拠 参考書より
佛教の伝来と蘇我 物部 両氏の争

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日本中が注目の、戦前の学習資料による、大好評「真実の日本の歴史(古代日本史)」シリーズ。全部、仕上がってますが間をおいてアップしていきます。挿し絵類も、すべて戦前の学習資料にあるものを利用していますよ。
今日は仏教の伝来から、今ではきちんと習えなくなった蘇我氏と物部氏の争いです。昔の教育ではきちんと天皇が時系列で出てきます。今の学校では推古天皇ぐらいまで天皇の名前なんてほとんど出てきませんよね。こういう流れを知っておくことで、日本は天皇を中心に動いてた国なんだって、感覚的にわかっていけるわけです。今ではサラッとしか教えられない、後に蘇我氏が誅されることになる大化の改新にもつながっていく、仏教や皇嗣をめぐっての蘇我氏と物部氏の争いの流れ、その登場人物、きっちり知っておきたいところですね。

『最新 日本歴史解釈』(1917年・妻木 忠太 著)より


【目次はコチラ】

佛教の伝来
佛教は古く印度に起る―釈迦 始めて之を唱(とな)う―東支那を経て朝鮮に入る―司馬達等(シバタチト)支那より帰化す―司馬達等 私に仏教を奉ず―当時 未だ行われず―欽明天皇の時に百済王 佛像経文を献ず―佛の功徳を説く―禮佛(らいぶつ・礼仏)の可否―大臣 蘇我稲目(ソガノイナメ)之を禮(礼)せんとす―大連 物部尾輿(モノノベノヲコシ)・中臣鎌子(ナカトミノカマコ) 之が不可を論ず―試に稲目に礼仏せしめらる―稲目 向原(むくはら)の宅を寺とす―佛寺の始。


蘇我 物部 両氏の争
舊(旧)家の盛衰―饒速日命(ニギハヤヒノミコト)の裔(えい) 物部氏 尚家名を墜(おと)さず―竹ノ内宿禰の裔 蘇我氏獨り栄ゆ―物部・蘇我 両氏 竝(並)に朝廷に立つ―佛教の伝来に及び両氏 烈しく争う―物部尾輿・中臣鎌子の排佛(はいぶつ)―蘇我稲目の崇佛(そうぶつ)―偶悪疫 大に流行す―物部尾輿等 寺を焼き佛像を難波堀江に投ず―欽明天皇の崩後 敏達天皇の御即位―稲目の子 馬子(ウマコ)―尾輿の子 守屋(モリヤ)―馬子・守屋 各父の志を継ぎて相争う―馬子 新に寺を建て百済より来れる仏像を祀る―守屋等 其の寺塔を焼き佛像を棄つ―敏達天皇崩後 用明天皇の御即位―用明天皇の御母は馬子の妹―厩戸皇子(ウマヤドオウジ)の崇佛―用明天皇の崩後 皇嗣(こうし)問題起る―守屋 皇弟 穴穂部皇子(アナホベオウジ)を立てんとす―馬子 遂に守屋を攻め滅し祟峻(スシュン)天皇を立て奉る―馬子ますます其の勢い恣(ほしいまま)にす―崇峻天皇 大に馬子を悪み給う。馬子の無道。


〇司馬達等(シバタチト)
支那の南梁(朝)(皇紀1161-1217年)の人なり。継体(ケイタイ)天皇の16年に来朝し、大和の高市坂田原に草堂を結びて佛を奉じぬ。されど当時の人 未だ佛の何物たるを知らず、唯 異域(ゐいき)の神とよぶ。後、司馬達等 姓を鞍作(クラツクリ)と賜わる。蘇我馬子(ソガノウマコ)と心を協せて佛法を興すに力む。其の女 島(シマ)は尼となり、百済にゆきて戒をうけ、其の男 多須奈(タスナ)も用明天皇崩御の時、天皇の為に出家せり。
〇蘇我稲目(ソガノイナメ)の崇佛
欽明天皇の13年、百済王の使い来りて佛像及経論等を献じ、且 佛の功徳(くどく)を説く。天皇 群臣を召して、之を礼すべるや否やを問わせ給う。時に稲目大臣たりしが、諸国 皆 之を礼す。我が國 獨り背くべけんやと奏上す。大連 物部尾輿(モノノベノヲコシ)等 之に反対せしかば、天皇 試に稲目に之を祭らしめ給う。稲目乃ち喜び受けて之を崇め、向原(大和高市郡飛鳥村)の家をきよめて寺として、此に安置す。
〇物部尾輿等の排佛
大臣 蘇我稲目の佛を崇めんとするや、大連 物部尾輿は中臣鎌子(ナカトミノカマコ)と共に之に反対し、我が国に天神・地祇(ちぎ)ありて四季に之を祭る、今 佛を礼せば國神の怒を致さんことを奏上す。偶疫疾流行して人民多く死す。尾輿等乃ち、國神の怒をなして疫疾流行す、よろしく佛像を棄つべしと奏上す。天皇 奏のままに有司をして佛像を難波の堀江に投じ、火を寺に放ちて之を焼かしめ給う。
〇馬子と守屋
稲目の子を馬子と云い、尾輿の子を守屋と云う。馬子・守屋の二人 各父の職をつぎて敏達天皇の朝 大臣・大連となる。天皇の6年、百済より佛教及僧尼・佛工・寺工等を献じ、越えて8年、新羅より佛像を送り、13年また百済より佛像二体至る。此の年 馬子其の二体を請い、司馬達等等を遣わして四方に僧侶を求めしめ、高麗の僧 恵敏(エビン)を師とし、司馬達等の女 島を尼とし、其の弟子二人をも尼とす。かくして馬子 父の志をつぎて佛教を崇め、此の三尼を敬いて盛に佛教を治む。是より佛教起る。然るに守屋、父の志をつぎて佛を排せんとす、天皇の14年、疫病流行するや、佛法を崇むる為なりと奏上せしかば、天皇 勅して之を断たしめ給う。守屋 乃ち佛像・佛殿を焼き、其の焼餘を難波の堀江に投じて三尼を市にうつ。尋(つい)で馬子疾むに及び、佛法の力によらざれば、治すべからざるを奏上せしかば、天皇 獨り之を馬子に崇めしめ給い、三尼を之に与え給う。かくて馬子・守屋の争 烈しくして馬子 遂に守屋を殺すに至る。
〇皇嗣問題
初め敏達天皇崩じ給いて皇嗣(こうし) 未だ定まらざるや、馬子 炊屋姫(カシギヤヒメ)皇后と謀りて、其の女の出なる大兄皇子を立て奉らんとす。而して守屋は、大兄皇子の弟 穴穂部(アナホベ)皇子を立て奉らんとし、皇子もまた即位の御志ありき。皇后 馬子と謀りて、大兄皇子を立て給う。之を用明(ヨウメイ)天皇と申す。是に於て穴穂部皇子甚だ平ならず、かくて用明天皇崩じ給うや、馬子は泊瀬部(ハセベ)皇子を立てんとす。守屋なほ他 皇子をおきて穴穂部皇子を立てんとし、遊猟(ゆうりょう)に托(たく)して之を図らんとす。然るに誅 泄(も)れ、馬子 炊屋姫皇后の旨を以て、兵を穴穂部皇子の宮に遣わして遂に之を滅ぼしぬ。尋(つい)で馬子 諸皇子・群臣と共に、兵を率いて守屋を攻む。守屋 其の子弟と共に稲城(いなき)を築きて防戦し、其の勢 頗(すこぶ)る盛なりしが、守屋 遂に迹見赤檮(トミノイチビ)に射殺せられて亡びぬ。炊屋姫皇后 乃ち群臣と謀りて泊瀬部皇子を立て給う。之を祟峻(スシュン)天皇と申す。
〇継体天皇の事蹟
天皇即位の年、勤農桑の詔を下し給い、3年 使を百済に遣わして亡人を檢(検)し、任那に在る者を本國に還らし給う。6年 大伴金村 任那四縣の地を百済に割輿(与)するや、百済 其の賜地を謝し、博土 高安茂(コウアンモ)を貢し、前年 貢せし五経博士 段楊爾(タンヨウニ)に代らしめしが、任那 大に之を怨み、韓土 漸(ようや)く動揺す。21年 近江毛野(オウミノケヌ)を遣わして任那を討たしめ給う。偶 筑紫國造 磐井、新羅に通じて毛野を遮り止む。天皇 乃ち物部麁鹿火(モノノベノアラカヒ)をして之を誅せしめ、23年 再び毛野を新羅に遣わし給う。毛野 鎮撫(ちんぶ)の才なく、却て粉擾(ふんじょう=乱れる)を増せしかば、翌年 之を召し給う(コチラ参照)。
〇探湯
探湯(くかだち)は、上代に於て正邪を判別せんが為に、神明に誓いて熱湯を探らしむるを云う。其の爛傷(ただれきづづく)せざるを正とし、爛傷せるを邪とす。応神天皇の時、武内宿禰(タケノウチノスクネ)其の弟 甘美内宿禰(ウマシウチノスクネ)に讒(ざん)せられしを以て、兄弟探湯せしに、甘美内 爛傷して武内無事なりしこと日本書紀に見えたり。
〇本邦上古氏族制度と部民の制
我が國 上古の社会組織は、氏族制度によりて成り、朝廷の官職及び地方官を始め、概ね各一定の職を世々にし、其の職名を家号となし、やがて又 一族の名称ともなれり。其の称を氏と云い、又 同族の祖先より出でたる血族のものは、皆 其の名を称し、之を氏族と云う。即ち大伴氏・物部氏の称は、大伴部・物部の兵士を掌(つかさど)り、中臣(ナカオミ)氏・斎部(インベ)氏の称は、中臣部・斎部の祭祀を掌れるより起れるが如し。其の大伴部・物部・斎部と云えるは、即ち部民の称なり。而して此れ等、部民には、なほ中臣部・弓削(ゆげ)部・玉作部・服部など数多(あまた)あり。而して各統領(即ち氏の上)ありて之を率い、朝廷に奉仕す。其の統領もまた家業にして代々相継ぐ、連・首・造等の名あり。大伴連・中臣連・斎部首・服部造などの如き是なり。部民統領の意にあらずして、天皇に仕えて政務を主(つかさど)るものを臣と云う。蘇我臣・平群臣・穂積臣の如し。是れ等を姓(かばね)と云い、各家族(氏族)の尊卑をあらわすものにして朝廷より賜わる。されば此の姓はもと各家の職名なりしも、其の家柄の貴賎を分つに至りて世襲せる各職名の実を失い、遂に貴族の称号の如くになりしなり。


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