日本の面影

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真実の日本の歴史 〜 仁徳天皇と雄略天皇 顕宗 仁賢 両天皇
戦前の日本史教科書準拠 参考書より

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ここまでお読みになってくれば、今までさんざん歴史を勉強してきたつもりが、結局、実は何も学んでいなかったんだってことに気づかれた方が多いと思います。戦後、断絶された日本の歴史教育、引き続いてまいります。今日は第6回。
現代では忘れ去られた、昔は有名だった仁徳天皇の治世。この話を読めば、なぜ仁徳天皇陵(右写真)があれほど大きいか、そのワケがつながっていくわけですね。皇室への敬意も自然と持てるようなるし。
少し前までは「世界最大のお墓の仁徳天皇陵」と教えられていたのに、今ではそうじゃなく、ただ「大山(だいせん)古墳」って教えられるようなってるのはご存知ですか? 私らからすると「大山古墳……なんじゃそりゃ」って感じですが、今の教育ではそんな風に、あの種の大きな古墳が天皇とは特に関係ないかのような教え方がされてるんですよ。天皇陛下の御陵だってことを今の学校では教えなくなってるのです。じゃあ、あれは何なのかって……ただ、何か不思議な盛り土だなって…… 宇宙人がとか、ユダヤがとか…… そして天皇を追っての殉死が禁じられた後、陛下に仕え最後まで共にすべき人々の身代わりとして御陵に一緒に納められた数々の埴輪群も、単なるお飾り、嗜好品にすぎない、魂のないただの文化財でしかないわけですね。だから攪乱ネタの近代史ばかりで騒いでるようじゃ、日本人のルーツをメチャメチャにされ、民族としての土台を失っていきますよと、私は前々から警告してるわけです。日本人が日本人であるために、古代史、神代こそ一番大事なんだって。今では陛下や皇族さえ、自分たちが何者であるのかすら忘れてしまっており、非常に憂うべき事態となってます。
そして、自分が殺めた相手の妻を妃としたことから我が誅されることになった天皇の話。陛下といえども、人としての在り方を考えさせられる、安康天皇に起きた眉輪王の変や、財を意味する「大蔵」の由来、また古くから皇室と関わりのあった養蚕や、陛下が激情を抑制するにあたり当時の皇后様がとられた役割など、興味深い話もいっぱいですよ。

『最新 日本歴史解釈』(1917年・妻木 忠太 著)より


【目次はコチラ】

難波遷都
応神(オウジン)天皇の崩後 皇太子 稚郎子(ワキイラツコ)の譲位―御兄 大鷦鷯尊(オオササギノミコト)の御即位(仁徳天皇)―当時 韓土との交通繁し―難波(今の大阪)に遷都。


仁徳天皇の御仁政
高臺(たかきや・高台)より御望遠―炊煙少く百姓 窮乏す―三年間 租税を免ぜらる―皇居 久しく修理せられず―天皇の御倹約ー民力の休養―交通を便にし農業を勧めらるー民富みてよく治まる―仁徳天皇の御陵。

磐之媛皇后
磐之媛(イワノヒメ)皇后―武内宿禰(タケノウチノスクネ)の孫―履中(リチュウ)・反正(ハンゼイ)・允恭(インギョウ)三天皇のご降誕―武内宿禰の子孫繁栄(蘇我=ソガ・葛城=カツラギ・平群=ヘグリの諸氏)。


産業の御奨励
眉輪(マユワ)王の変―雄略(ユウリャク)天皇の御即位―天皇の御勇壮―諌(かん・いさめ)を容(い)れ政に励み給う―養蠶(蚕)を勧め 絹織の業を起さる―斎蔵(いみくら)・内蔵(うちくら)の外に大蔵(おほくら)の建立(三蔵分立)―蘇我満智(ソガノマチ)三蔵を掌(つかさど)る―(蘇我氏強大の基)


豊受大神宮
丹波より豊受(とようけ)大神を迎えらる―衣食(農桑)の榊―皇大(こうたい)神宮の傍に奉祀―外宮


幡梭姫(ハタビヒメ)皇后
皇后の御淑徳(ごしゅくとく)―内に天皇を助け又命により親(みずか)ら蚕を飼い給う―少子部栖軽(チイサコベスガル)の話


工業の進歩
呉より縫工・織工の女を召さる―百済より錦工・陶工・書工を招かる―衣服・家屋の発達―楼閣(ろうかく)の建築―上古の建築 漸(ようや)く改まる。


顕宗 仁賢 両天皇
雄略天皇の崩後 皇子 清寧(セイネイ)天皇の御即位―清寧天皇の崩後 履中天皇皇孫 顕宗(ケンゾウ) 仁賢(ニンケン)両天皇の御即位―民各業に安じ天下大に富む。


〇稚郎子(ワキイラツコ)皇子 (菟道稚郎子・ウジノワキイラツコ)
応神(應叩謀傾弔旅鳥劼砲靴董⊃瞭繊淵縫鵐肇)天皇の弟なり。応神天皇の84年 百済王の使 阿直岐(アジキ)の来るや、之に漢文を学び給い、翌年 王仁来るに及びまた之を師とし給う。97年 高麗王の使の朝貢するに当り、其の上表中に、高麗王 日本国に教ゆとありしかば、皇子 其の無礼を怒りて其の表を破り給う。天皇 固(もと)より皇子を愛し給い、109年 皇長子 大山守(オオヤマモリ)命をして、山川林野の事を掌らしめ給い、仁徳天皇(大鷦鷯尊・オホサザキノミコト)をして、皇太子を輔(たす)けしめ給う。応神天皇崩ずるに及び皇太子帝位に即き給わずして、之を大鷦鷯尊に譲り給う。尊は先帝の命あるを思いて、之を固辞し給う。かくて互に皇位を譲り給いて三年に及びしが、皇太子 遂に自殺し給う。是に於て、尊帝位につき給う。是を仁徳天皇と申す。
〇難波の遷都
神功皇后 三韓征伐の後、其の貢献の船を難波(今の大阪)の海に来らしめ給い、離宮を大隅(今の大阪の中にて高津宮の附近なるべし)に建て給いしが、仁徳天皇に至りて高津宮(今の大阪玉造石山の附近なるべし)に遷(うつ)り給いぬ。其の後 孝徳天皇の御代 再び長柄豊崎宮(ながらのとよさきのみや・今の天満川上 大阪城辺なるべく難波の宮も同所なるべし)に遷り給う。此の難波の遷都は、神武天皇の奠都(てんと)後、天智天皇の近江の志賀、元明天皇の大和の平城、桓武天皇の平安、明治天皇の東京の奠都と共に著名なるものとす。
〇眉輪王の変
安康(アンコウ)天皇は大泊瀬(オオハツセ)皇子の為に、大草香(オホクサカ)皇子の妹 幡梭(ハタヒ)皇女を聘(へい)せんとし給う。根使主(ネノオミ)使となりて、旨を大草香皇子に伝う。皇子 大に喜び私寳(宝)の押木曼縵(おしきのたまかづら)を捧げ給う。根使香主 之を奪いて己が寳(たから)とし、詐(いつわ)りて大草香皇子の命を奉せざる旨を奏上す。天皇 大に怒り、大草香皇子を圍(かこ)ましめて之を滅し、其の妻 中蒂(ナカシ)姫を宮中に納れ、やがて皇后とし給う。初め中蒂姫皇后は眉輪(マユワ)王を生みしが、是に至りて王もまた宮中に養わる。天皇一日皇后に語り給うて曰わく、朕 眉輪王を畏ると。王 楼下に在りて之を聞き、遂に天皇の熟睡し給うを伺いて、殺し奉るに至る。王 忽(たちま)ち誅に伏す。之を眉輪王の変(變)と云う。
〇三蔵分立
斎蔵(いみくら)内蔵(うちくら)大蔵(おほくら)を云う。斎蔵(いみくら)は斎(い・忌)み潔(きよ)めたるものを収むる場所にして、上古より之ありき。三韓征伐の後、韓よりの貢献多きにより、履中天皇の御代に、斎蔵の傍に内蔵を建てしめ給う。内蔵は内の蔵にて皇居内に物を収め置くの場所なり。此れ内蔵に収めし貢献物(こうけんもつ)は、安智使主・王仁に出納を記せしめらる。而して秦氏が貢献せしこのかた、諸国よりの貢調物も年々増加せしを以て、雄略天皇の御代に至り、別に大蔵を立てて之を収めしめ給う。かくて三蔵分立し蘇我満智(マち)をして之を主(つかさど)らしめらる。
〇蘇我満智
武内宿禰の孫にして、石川宿禰の子なり。履中天皇の御代に、平群木菟(ヘグリノツク)等と共に国政をとり行う。雄略天皇の御代に、更に三蔵を兼ね主(つかさど)らしめらる。是に於て蘇我氏 財政をも管するに至り、後に蘇我氏の強大となるの基をなせり。
〇豊受大神宮
伊勢の宇治山田市豊川町に在りて、衣食の神なり。初め天孫降臨の時、天照大神の詔にて、丹波の與謝(よさ)比沼の眞井(真井・まない・今の丹後中群五箇村に在り)に鎮座ありしが、雄略天皇の御代に至り、大神の託宣(おつげ)によりて、今の地に遷し奉り給う。後世 皇大神宮を内宮と云い、豊受大神宮を外宮と云う。古来 朝廷の御崇敬 甚だ厚く、二十年毎に改築ありて遷営せらる。臣民の崇敬もまた深く。参拝するもの絶ゆることなし。
〇幡梭皇后の御淑徳
雄略天皇の5年 葛城山に狩し給いし時、天皇 舎人(とねり)に一匹の暴猪を刺さしめ給う。舎人 恐れてにげ、猪 直に天皇にとびかかりしかば、天皇 弓にて之をさし止め、足をあげて踏み殺し給う。天皇乃ち舎人を責めて斬らんとし給いしに、皇后 之を諌め給いしかば、天皇 御心とけて舎人をゆるし「朕は狩して善言を得たり」とのたまい給う。皇后の常に天皇の御心を和らげ給えること知らる。皇后また天皇の命にて親(みずか)ら桑をとりて蠶(蚕)を養い、以て養蠶ををすすめ給えり。
〇少子部栖輕
天皇 養蚕を奨励し給い、蜾蠃(スガル)というものに、天下の蚕をあつめし給う。蚕は其の飼わる時にカヒコといい、基本の語は(こ)なり。よって栖輕(スガル)は蚕のコと子兒(児)のコとを誤りて、天下の小児をあつめて天皇に上る。天皇 大に笑わせ給い、其の小児を栖輕に賜りて養育せしめ給い、少子部連(ちいさこべのむらじ )の姓を賜わる。また以て天皇の農桑をすすめ給い、御仁愛の御心にとませ給うこと知らる。
〇仁徳・天智・聖武・醍醐 各天皇の都
仁徳天皇の都は難波遷都の條に見え、天智天皇は近江滋賀宮(今の滋賀群大津市)、聖武天皇は大和平城宮(添上=そえかみ・添下=そえじも(今生駒郡)両郡に跨(またが)る)に在しまし、醍醐天皇は山城平安(今の京都)に在しませり。


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