日本の面影

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真実の日本の歴史 〜 日本武尊 成務天皇
戦前の日本史教科書準拠 参考書より

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皆様、大変お待たせしておりました。戦前の歴史学習書『最新 日本歴史解釈』の続きです。 第四章になります今回は、日本最大の英雄 日本武尊(ヤマトタケルノミコト)が登場します。生涯かけて忠義に尽くした皇子の栄光と悲哀、その高貴な魂は永遠です。そして妃 弟橘媛(オトタチバナヒメ)も、献身的な日本女性として日本史上に燦然と輝いています。 日本人のルーツを奪い去る現代日本で教えられているデタラメ史観から、これらを知って一刻も早く脱してくださいね。

『最新 日本歴史解釈 』(1917年・妻木 忠太 著)より


【目次はコチラ】

熊襲征伐
熊襲(くまそ)の性質―九州の南部に住む―景行天皇の御親征―熊襲再び叛く―皇子小確尊(オウスノミコト・日本武尊)の御征伐―尊 時に御年十六―賊魁(ぞくかい)の川上梟帥(カワカミノタケル)誅に伏す―日本武(ヤマトタケ)の御名―熊襲の平定。


蝦夷征伐
蝦夷(えみし)の性質―東海・奥羽。越後等に住む―武内宿禰(タケノウチノスクネ)の東方視察ー日本武尊の御征伐―尊 伊勢崎神宮に参拝―叢雲剣(むらくものつるぎ)の拝受―大伴武日(オオトモノタケヒ)―日本武尊の征伐御順路 駿河土賊の焼討―草薙の剣―弟橘媛(オトタチバナヒメ)―蝦夷の服従―日本武尊の薨去(こうきょ)―熱田神宮―景行天皇の東国御巡幸―諸別(ミモロワケ)王の東国鎮撫。


成務天皇
西南東北各地方の平定―皇威益普及―成務天皇の御即位―國縣(くにかけ・国県)の分界―國造(くにのみやつこ・国造)・縣王(あがたぬし・県主)の増置―地方制度の整頓―大臣(おほおみ)の設置と武内宿禰の任官。


〇熊襲の性質
強剛にして剽悍(ひょうかん)なる種族なり。大隅・薩摩の地を本拠とせしが、神武天皇御東征の後は、其の威力を北方肥後までも及ぼしぬ。後に隼人(はやと)として知られたるもの蓋し(けだし)是なるべし。隼人とは、勇猛にして敏捷(びんしょう)なるを云う。
〇景行天皇の熊襲征伐
天皇の12年 熊襲反す。天皇、之を征せんとして周防の佐波郡に至り、先ず使を遣わして九州の状を視せしめ給う。女 酋神夏磯(カンカシ)媛なるもの、船に白旗を立てて来り帰す。乃ち其の言によりて九州北部の諸賊を平げ、豊前に行宮(今の福岡県京都郡・みやこぐんの地)を建て給う。是より大分・速見の両群をへて、行く行く賊を征して日向に入り、高屋行宮に在りて熊襲の巣窟をつかんとし給う。時に熊襲に厚鹿文(アツカヤ)迮鹿文(セカヤ)の二人のかしらありて、其の部下甚だ多し。之を八十梟帥(ヤソタケル、コチラ参照)と云う。天皇 兵を損せんことを思い給い、謀を以て梟帥の女 市乾鹿文(イチフカヤ)を誘い、遂に其の父を誅せしめ給う。是に於て襲の国、平定す。襲の国は熊襲の居住地にして大隅の噌唹(ソヲ)郡なるべし。
〇日本武尊の熊襲征伐
景行天皇27年、熊襲再び反するや、天皇 日本武尊をして之を伐たしめ給う。尊時に年十六。尊 乃ち此の年12月を以て熊襲の国に至り、其の消息と地形とを伺い給う。時に熊襲のかしらを川上梟帥という。川上梟帥たまたま親族を集めて宴をなす。尊 即ち髪をときて少女の姿になり、剣を衣中にはぎて梟帥の宴室に入り、女の中にまじり居給う。夜深く人少なくなるに及び、尊 川上梟帥の酔えるを伺いて、遂に之を刺し給う。
〇日本武尊の御名
尊の川上梟帥の胸を刺し給う時、梟帥 未だ死せずして曰く、吾は国中の強きものなり、当時、我が威力に従わざるものなし、されど尊の如き武力あるものを知らず、吾 賤しき口ながらも、御名を日本武の皇子と奉らんと。言い終るや、尊 胸を刺して之を誅し給う。是より日本武尊と称し奉るに至りしなり。
〇蝦夷の性質
蝦夷は、今の北海道に住めるアイヌと同じ種族にして、頗(すこぶ)る勇悍なりき。景行天皇の御代の頃には、奥羽地方より常陸にまでもひろがりて、其の勢力甚だ熾(さかん)なり。天皇 日本武尊に征伐せしめ給いし時にのたまうて曰く、東夷の性質暴にして村に長なく邑に首なし。各疆(さかい)を争いて互いに盗略す、東夷の中にて蝦夷最も強し男女交わり居て父子に別なし、冬は穴に宿し夏は樔(やぐら)にすむ。毛を着て血を飲み山を登り野を走ること飛ぶ鳥や走る獣の如し、箭(や)を頭髪にさして刀を衣中にはぎ、或は黨(なかま)を聚(あつ)めて辺界を犯し、或は農業を伺いて人民を殺す。撃てば草にかくれ、追えば山に入る。身体長大にして力強く、猛きこと雷電の如く、向う所前なしと。之によりて、当時の蝦夷の状を知るべし。 
〇武内宿禰 東方観察
景行天皇の25年、孝元天皇の後なる武内宿禰をして、北陸及び東方の国々の形勢と人民の有様とを観察せしめ給う。27年、武内宿禰 東国より還り、東夷の中に日高見国(次に見ゆ)あり国人勇悍にして男女ともに髪を結び、身に入墨(いれずみ)す、是を蝦夷と云う、土地肥えて広し、之を征服し給うべしと奏上す。
〇大伴武日
天忍日命(アメノオシヒノミコト、コチラ参照)の後にして、道臣命(ミチノオミノミコト、コチラ参照)七世の孫なり。日本武尊の東夷征伐に当たり、天皇 武日をして尊に従わしめ給う。此の動功によりて、讃岐の地を賜りて私宅となさしめ給う。武日の子 武以(タケモチ)は、仲哀天皇の御代、始めて大臣(おほおみ)となる。
〇日本武尊の蝦夷征伐
景行天皇の40年、蝦夷反きて人民を苦しむ。天皇群臣に詔して、之が征伐将たるべきものを問わせ給う。日本武尊は御兄 大碓尊(オオウスノミコト)を推し給いしが、大碓尊 懼(おそ)れて之を辞し給いしかば、日本武尊をして平定せしめ給う。日本武尊乃ち大和を発して伊勢に至り、皇大(こうたい)神宮を拝して倭姫命(ヤマトヒメノミコト)にあい給う。かくて尊は命より叢雲剣を授かり、駿河に至り給いし時、土賊 尊を殺さんとし、狩に誘いて其の野を焼く。尊 欺かるゝを知り給い、燧(ひうち)にて火を出し、叢雲剣にて草を薙(な)ぎ、(草薙剣と改名)之を焼きて免るゝことを得、却て其の賊を滅し給う。焼津の名 此に起こる。尊 相模より進んで走水(はしりみず)に至り、東京湾を渡りて上総(かずさ)に上陸し給う。尊 上総より陸奥(むつ)の国に入りて、蝦夷を平げ給う。尊の帰路は、日高見国(或は常陸の北辺とし或は陸前桃生郡附近とす)を発し、西南常陸・武蔵を経て、甲斐に入りて酒折(さかおり)宮に居給う。かくて大伴武日を信濃及北陸に遣わし、自ら転(てん)じて碓水(うすい)峠を越えて信濃に入り、美濃より尾張に出で、更に近江の賊を討ち、遂に伊勢に還りて薨じ給う。時年三十。
〇弟橘媛
日本武尊の妃なり。尊の蝦夷征伐に従いしが、尊 東京湾を渡りて上総に上陸せんとし給う時、たまたま海上暴風起こり、尊の船ただよいて渡り難し、弟橘媛 尊に申して曰く、風起こり浪荒くして尊の船、将に沈まんとす、妃の身を以て尊の命に代わらんと。言い終りて浪の中に投じ給う。是に於て暴風たちまち止み、船 上総の沿岸につくを得たり。よりて時人 其の海を走水と云う。
〇日本武尊の薨去
尊の帰路 尾張に至り給うや、国造 尾張氏により給う。時に近江の膽吹(伊吹・いぶき)山に賊あると聞き、草薙剣を尾張氏の家に置きて、此の賊を平げ給う。尊たまたま疾(やまい)を獲給いしを以て、尾張氏の家に入らずして伊勢の能褒野(のぼの)に至りしに、疾甚だしくして其の俘(とりこ)にせる蝦夷を神宮に奉り、吉備津彦(きびつひこ)をして東夷平定を奏上せしめ、遂に此に薨じ給う。
〇熱田神宮
三種の神器の一なる草薙剣を祀れる宮にして、名古屋市の熱田に在り。日本武尊 蝦夷征伐の時、此の剣を帯給いしが、其の帰路、尾張の國造 尾張氏の家に滞在し給い、近江の膽吹山の賊を討たんとし、此の剣をとどめて向い給う。かくて尊 疾を獲て、遂に能褒野に薨じ給いしかば、神剣は尾張にとどまり、後 此の地に祀り奉る。天智天皇の御代、しばらく禁中に在りしが、天武天皇の御代、また熱田に返し奉らる。
〇御諸別王の東国鎮撫
景行天皇の53年、天皇 日本武尊の平げし国々を巡視せんとし先づ伊勢に幸し、転じて東海に入り、上総より海路 安房に渡りて還幸し給う。55年、豊城入彦命(トヨキイリヒコノミコト)の孫 彦狭島王(ヒコサシマオウ)を東山道十五国の都督とし給いしが、任所に至らずして薨す。翌年、更に王の子 御諸別王に詔して東国を鎮撫せしめ給う。
〇国造・縣主の増置
神武天皇 大和平定の後、始めて國(国)造・縣(県)主(コチラ参照)を置き給いしが、第十四代成務天皇の御代に至り、大に郡国の境を正し、大国小国の國造を定め、大県小県の縣主を置き以て中央政府の藩屏(はんぺい)とし給う。当時の國造は凡そ144ありと云う。職掌は、各土地を領して、其の人民を治め、神祇を祭り田賦(でんぷ)を貢するに在り。而して其の子孫 之を世襲す。
〇大臣の始
大臣はオホイマチキミとよみ、後の大臣(おほおみ)なり。大臣は臣姓の諸氏をすべ、大連(おほむらじ)と共に天下の庶政をすぶるを職とす。而して其の大臣は、実に成務天皇の御代に、武内宿禰の大臣(おほいまちきみ)となりしに起こり、其の子孫 之を世襲したり。
〇皇大神宮と熱田神宮との由来
両神宮の由来は、八咫の鏡と叢雲剣との奉遷(コチラ参照)と前項 熱田神宮とを見るべし。


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初めてこのブログを読みましたが、この記事だけではなくて、他の記事も面白い!
シスイ | 2017/01/25 4:37 AM
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