日本の面影

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真実の日本の歴史 〜 戦前の日本史教科書準拠 参考書より
崇神天皇と垂仁天皇

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『最新 日本歴史解釈』第三章、今回は神武天皇から十代目に当たる、四道将軍らによる諸国鎮撫で皇威を拡張した崇神天皇、そして殉死を禁ずる発令が至った経緯など、とっても生々しく興味深いエピソードもある十一代目 垂仁天皇の治世のお話。現在、原稿が上がってるのはここまでです。
尚、建国した神武帝以後の開花天皇の代までの8代分の記録がまるで残っていないのですが、これは孝徳天皇の元年、(大化の改新で)息子 蘇我入鹿を殺され追いつめられた蘇我蝦夷が大邸宅に火を放ち、当時は存していた正史たる『天皇記』や『国記』のような典籍が焼けてしまったからなんですね。完全焼失する前、焼け残っていた『国記』の一部を船恵尺(ふねのえさか)がすばやく取り出し、中大兄皇子に奉納します。その後、歴史記録保存の必要性を感じた天武天皇が群臣に勅し、それら焼け残っていた史書と他にあった『帝紀』等の史書を付け合わさせ、驚異的な記憶力でそれら典籍を誦習した稗田阿礼の誦を元に、太安万侶によって編纂された古事記が普及していったわけです。その二人の当時の思い起こされるご様子、何と美しい音の響き、神々しいお姿なのでしょう。だから今の歴史学者が言うような、記録の残っていないこの期間の天皇史なんて嘘っぱちだなんて言い分こそ、テキトー論のデタラメなのです。神武天皇以後、開花天皇までの歴史は確実に存在します。記録のある部分は正確に残し、わからない部分を勝手に作ることが出来なかったからこそ、その間が空白になってしまったのです。

榊 〜 古代歌謡の世界 より
古代日本、稗田阿礼の謡はどのように奏でられていたのか、思いを馳せてみましょう。この曲は『日本古代歌謡の世界』(東京楽所)というCDからです(詳しくは右画像クリック)。

『最新 日本歴史解釈 』(1917年・妻木 忠太 著)より


【目次はコチラ】

神器の奉還
神武天皇の後、御八代の政治―崇神(スジン)天皇の御即位―崇神天皇の御敬神―八咫鏡(やたのかがみ)と叢雲劔(むらくものつるぎ)との奉遷(ほうせん)―笠縫(かさぬい)の邑(むら)―皇女 豊鍬入姫(トヨスキイリヒメ)命の奉仕―模造の鏡劔と八坂瓊勾玉(やさかにのまがたま)との安置―御歴代の御伝承―神宮・皇居の別。


四道将軍の派遣
皇族を四方に派遣―大彦命(オオヒコノミコト)は北陸―武渟川別命(タケヌナカワワケノミコト)は東海―吉備津彦命(キビツヒコノミコト)は西道―丹波道主命(タニハノミチノヌシノミコト)は丹波(タニハ)―四道将軍の称―将軍各地の人民を撫(ぶ)し朝命に従わざる者を討つ―皇子 豊城入彦命(トヨキイリヒコノミコト)の東国を鎮撫(ちんぶ)―皇威の拡張。


農事の奨励
崇神天皇の民業御注意―池溝の開鑿(かいさく)―造船―人口の調査―調物(みつぎ)の賦課(ふか)―弓弭(ゆはず)の調と手末(たなすえ)の調(課税の始)―家富み物足る―はつくにしらす天皇


農事の奨励
垂仁(スイニン)天皇の御即位―天皇民事に御注意―池溝の開鑿(かいさく)800余所―田地の開拓―産業益興る。

皇大神宮
垂仁天皇の御敬神―八咫鏡と叢雲劔とを五十鈴川上に奉祀―皇女 倭姫命(ヤマトヒメノミコト)の奉仕―御鏡は天照大神の御霊代(みたましろ)―内宮(皇大神宮)。


殉死の禁
日葉酢媛(ヒハスヒメ)皇后の御葬―殉死の禁―野見宿禰(ノミノスクネ)の建議―土偶を殉死に代う―埴輪(はにわ)と古墳―上古の風俗。


〇神武天皇後の御八代
第一代神武天皇の後、綏靖(すいぜい)・安寧(あんねい)・懿徳(いとく)・孝昭(こうしょう)・孝安(こうあん)・孝霊(こうれい)・孝元(こうげん)・開化(かいか)の御八代を経て、第九代崇神天皇の御即位に至る迄、凡そ560余年(日本書記による)の年月を数う。而(しか)して此の間、天皇の御年、皇后・皇子女の御名、皇都・山陵の名、即位・崩御等の年月日を伝うるの外なれば、歴史事情を知るに由なし。恐らくは此の御八代の間の事実はこれ伝を失えるものなるべし。
〇崇神天皇の御敬神
上古の政治は神祇(じんぎ)を祭るを以て重なるものとす。天皇聴敏(ていびん)にましまし長じて心を政治に用い給い、重く神祇(ジンギ)を崇め給う。即位の5年疫病流行し、為に死するもの多くして人民流浪し背くものさえあるに至る。天皇乃(すなわ)ち罪を神祇(ジンギ)に請い給い、皇女 豊鍬入姫命(トヨスキイリビメノミコト)をして天照大神を倭の笠縫(大和磯城郡織田村〈やまとしきぐんおだむら〉)に祭らしめ、翌年 大田田根子(おおただねこ)をして大物主の神(大国主命のこと)を祭らしめ、且(かつ)八十萬神(やおよろずのかみ)を祭り、天社・国社及び神地(神領)神戸(神領の民戸)をも定め給う。是れに於いて疫病始めてやみ、国内よく治まり、五穀成りて人々富むに至る。
〇八咫鏡と叢雲劔との奉遷
古来三種の神器は、常に宮殿に泰安せらる。崇神天皇は其の殿を同じくせるは、神の威を瀆(けが)さんことを畏れ給い、齋部氏(いんべうじ)をして新に鏡・劔を鋳造せしめ、天皇御守護の御璽(みしるし)とし、三種の神器中の八咫鏡と叢雲劔とは、笠縫の邑(むら)に移し、皇女 トヨスキイリビメノミコトを命をして祭らしめ給う。次の垂仁天皇もまた敬神の御心深くましまし、更に笠縫の邑(むら)より、神鏡・神劔を伊勢の五十鈴川上に遷し、皇女 倭姫命(ヤマトヒメノミコト)をして祭らしめ給う、是れ内宮なり。
〇四道将軍と其の派遣
崇神天皇は其の十年に民を導くは教化に在り、使を四方に遣わして朕が規則を知らしめんと詔し給い、大彦命(オオビコノミコト)を北陸に、武渟川別命(タケナカワワケノミコト)を東海に、吉備津彦命(キビツヒコノミコト)を西道(山陽道)に、丹波道主命(タンバミチヌシノミコト)を丹波(山陰道)に遣わし、教を受けざるものを伐たしめ給い、共に印綬(いんじゅ)を授けて将軍とし給う。これを四道将軍という。かくて大彦命(オオビコノミコト)と武渟川別命(タケナカワワケノミコト)とは、会津に至りて相会(あいあ)したり。翌11年四道将軍各帰りて不服のものを平定せし状を奏上せり。
〇豊城入彦命(トヨキイリヒコノミコト)
命は崇神天皇の皇長子なり。天皇の48年第三皇子 活目尊(イタメノミコト)を立てて皇太子(垂仁天皇)とし、トヨキイリヒコノ命をして東国を治めしめ給う。是れより命の子孫、東国を鎮撫し給うに至る。上毛野(カミツケノ)下毛野(シモツケノ)両氏は此の命の後裔(こうえい)なり。
〇池溝の開鑿(かいさく)
崇神天皇は其の62年に、農は天下の大本にして人民の恃みて生活する所なりと詔し給い、河内の狭山の地、水少なくして人民農事を怠るを憂い給い、多く池溝を開き、尋で依綱池(ヨサミの池・摂津東成郡)苅坂池(カリサカの池・所在未詳)反折池(サカオリの池・所在未詳)を作り給う。垂仁天皇また農事に心を用い給い、其の35年に高石池(タカシの池和泉泉北郡)茅渟池(チヌの池・和泉泉南郡)を作り、尋で狭城池(サキの池・大和生駒郡)迹見(トミの池・大和磯城郡)を作らしめ、諸国に800余の池溝を開かしめ給う。
〇課税の始
崇神天皇の12年始めて人口を調査し、男には弓弭(ゆはず)の調とて、狩猟の獲物に課し、女には手末(たなすえ)の調とて、手業を課せらる。是れ実に課税の書に見えたる始とす。
〇造船の始
崇神天皇の17年、船を天下の要用なるも、海辺の民船なくして渡るに苦しむこと甚だしと詔し給い、諸国に命じて船を造らしめ給う。諸国に造船を命ぜられし始なりとす。
〇はつくにしらす天皇
神武天皇を始馭天下之(ハツクニシラス)天皇と称し奉り、崇神天皇も亦(また)御肇国(ハツクニシラス)天皇と称し奉る。此の意義は、未だ服せざりし遠き国々までも、始めて皇化にゆきたらはして、天下悉(ことごと)く太平となりし御代を称し奉るにあり。蓋(けだ)し神武天皇は、大和地方を平定し給いて人民を安んじ給い、崇神天皇も四道将軍を遠方に派遣し、不服のものを平定して皇威を輝かし給い、ヤマト朝廷は漸次盛となりしより、かく称し奉るに至りしなるべし。
〇殉死の禁
垂仁天皇の28年、同母弟 倭彦命(ヤマトヒコミコト)薨(こう)じ給う。其の葬むるの日に当たり、近習(そばのもの)のものを集め、悉(ことごと)く生ながらに陵域(陵のまわり)に埋め立つ。埋められしもの数日死せずして昼夜泣きよぶ。其の死するや屍くさり大鳥聚(あつま)りてこれを食う。天皇其の泣きよぶの聲を聞きて大に痛み給い、古風といえども今より止めんとのたまいてこれを禁じ給う。
〇野見宿禰(ノミノスクネ)と埴輪
垂仁天皇の32年、皇后 日葉酢媛命(ヒハスヒメノミコト)薨(こう)じ給い、将にこれを葬らんとす。天皇殉死の不可を知り給いしも、此の度の埋葬に当たりては、如何せんと憂いてこれを群臣に問わせ給う。出雲に野見宿禰(ノミノスクネ)あり、かつて勇悍なる当麻蹴速(タギマノクエハヤ)と力をくらべ、これに勝ちて賞せらる。此の時 ノミノスクネ、陵墓に生人を埋め立つるは、良にあらずして後世に伝うべからず、更に便事を奏し上らんとて、使を出雲に遣わして其の土部(ハシベ)百人を召し、自らこれをとくし、埴(はに)を取りて人馬及び種々の物の形を作り、これを天皇に上る。天皇 大に喜ばせ給い、是れより土物を陵墓に立てて生人を埋むるに代ることを後世の規則とし給う。やがて其の土物を以て、始めて皇后 ヒハスヒメノミコトの墓に立て給う。ノミノスクネ厚く賞せられ、姓を土部臣(ハシベノオミ)と改めらる、是れよりノミノスクネの子孫は、常に天皇の御葬式にあづかるに至る。
〇上古の風俗
上古に於いてはすこぶる祭祀を重んじ、其の敬神の俗は自ら忠孝の念と尚武(しょうぶ)の風と盛にす。面して人々 上衣を筒袖にし、これに褌・裳(も)をつけ、腰に刀劔を帯び、頭にくしかづら、頸に頸珠(くびたま)、手に手纏(たまき)をなすもあり。其の衣服の材料は、麻布・楮布(こうぞふ)などを用いること多し。また男は髪をみづらに結び、女はこれを後にたれ、或は髷(まげ)にも結ぶ。家屋は木造して、地を掘りて柱を立て、茅にて屋根をふき葛にて結びたり。
〇崇神天皇の事蹟
天皇の実蹟は、前に記したる天皇の敬神、八咫鏡と叢雲劔との奉遷、四道将軍の派遣、豊城入彦命(トヨキイリヒコノミコト)の差遣、池溝の開鑿(かいさく)、課税の始・造船の始 等の外に、天皇の御代に任那(みまな)の蘇那曷叱知(ソナカシチ)来りて鎮将を請い、塩乗津彦(シオノリツヒコ)の渡韓することとなり、又神武天皇の大業を更に拡張し給いしを以て、世人(せじん) 天皇を御肇国(ハツクニシラス)天皇 と称へ奉りしこと等なり。


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この記事に対するコメント

サファイアさま、こんにちは。
今年も、健康で、良い年でありますように。
(*^^*)
普通は目にすることも出来ないものを、読ませて頂いてありがとうございます。絵も美しくて癒されます。
まだ全部読めていませんが、追って読みたいです。
文体も今とは違い、見聞きしない名前も多いので、それらに慣れるまでは難しくて、一度に理解しづらいですが、それでも少しずつ解るといいなと思います。
ここ何年か、神話や昔話などを読んでるいるので、いくつかのお話のエピソードが&#32363;がるところもあり、面白く感じました。
断片的でも、読んでおいて良かったと思えました。
以前、こちらで紹介されてた日本誕生の映画を観た直後に、出かけた先で立ち寄った神社が、 日本武尊様と弟橘媛様が祀られてていて感動したことを思い出しました。
またリンク先の、こちらも読んでいて、相撲の話を調べていたら、埴輪のことが書いてあったのも理解できました。
http://whisper-voice.tracisum.com/?eid=513
> 〜 崇神天皇と垂仁天皇

心優しい天皇がいらっしゃったのですね。
明治神宮に参拝した時に、宝物殿に行きましたが、四方壁の上に歴代天皇全ての肖像画が展示されています。
想像上のお顔とされていますが、全て見て回ったことも思い出しました。
(*^^*)
蝦夷、アイヌ地方の方々や、熊襲などこういう性質(特質)を、お持ちだった民族だったのだなども知れてロマンも感じます。
立場によって、見方は違うかもしれませんが、それでもいろんな地方の特性があったことを、知れたことが嬉しいです。
それぞれの末裔が今、同じ日本国民としているのだなとも思いました。
それらも忘れないように、心に留めて大切にしていきたいと思います。
こちらの原稿を書き上げられた、ミズキさまも、ありがとうございます。
掲載されていること、伝えたいと思っていらっしゃった多くの魂が、喜ばれていると思います。
こちらを読んで行くと、自然神とは別で、八百万の神といわれるように、各神社に祀られている神名が多いことも頷けました。
ひよこ | 2017/02/14 1:37 PM
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