日本の面影

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戦後の歴史教育を捨てよう。
歴史教育 再興   ̄糞彿歛姑如\鐐阿旅饂法米本史)学習年表

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(2016.6.19)
皆様、いつもありがとうございます、
実は戦前の国史(日本史)資料をいろいろ集めました。まずは今日は、その中から戦前の歴史学習で使用されていた年表とシンプルな概略文を一つ、公開します。
単に人名や年号、事件の名前等だけ、膨大な項目を覚えても、有機的につながった歴史を学べない今の学校における歴史教育というのは、いくら学んでも何も身につきません。あれではいくら勉強して憶えても何もやってないに等しいんです。戦前の歴史教育は、そのような細かな事項名だけをやたら覚えたりするのでなく、実在の事件や人物等、それがどういったプロセスを経ていったか、その判断の仕方などに重点が置かれてます。

まずは年表。(下画像クリックで拡大画像が出ます。窓が開いても字が小さい時はさらに画像をクリックすれば拡大されると思います。)
「高等小学国史 附図」年表(昭和十三年一月十五日発行:立川文明堂)より




そして下記は、昔の歴史年表にある国史概略文、そのままの内容です。
「小学 国史絵巻年表」より(監修:中村孝也 昭和十一年三月一日発行:学習社)
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時代の発展
この文を、繰り返し読んで、国史の各時代がどのように発展して来たかを考えてください

神代(かみよ・じんだい)
神代の昔、天照大神は、天孫ニニギノミコトに向かい、
「この国は、わが子孫の王(きみ)たるべき地なり、汝(なんじ)皇孫(こうそん)ゆきて治めよ。皇位の盛なること、天地と共にきはまりなかるべし。 」
と仰せられた。わが国の基(もとい)は、この時定まった。ニニギノミコトは、この神勅をいただき、三種の神器をささげて、日向にお下りになられた。それから三代の間、その地に居られた。これまでを神代と申し上げる。

大和時代
神武天皇は、日向から大和においでになり、樫原宮(かしわらのみや)で天皇の御位におつきになられた。この年がわが国の紀元元年である。その後、崇神天皇は四方に将軍を遣わされ、垂仁天皇は天照大神を伊勢にまつりたてまつり、日本武尊(やまとたけるのみこと)は熊襲(くまそ)や蝦夷(えぞ)を征伐せられ、神功皇后は朝鮮半島の諸国を従えたまい、應神天皇の御代には儒教が伝わり、欽明天皇の御代には仏教が伝わり、推古天皇の御代には聖徳太子が立派な政治をなされ、孝徳天皇の御代には大化の新政が行われ、天智天皇の御代には、都を近江にうつされたけれど、後、まもなくまた大和へ還られた。この長い間を大和時代といい、わが国は、外国の文化を取り入れて、健やかに成長してきた。

奈良時代
元明天皇が平城京(奈良の都)におうつりになってから、凡そ七代七十余年の間は、文化の華の美しく咲き匂うたときで、これを奈良時代という。聖武天皇・光明皇后は篤く仏教を信ぜられ、大きな寺々が沢山つくられた。

平安時代
桓武天皇に居たり、都を山城(やましろ)の平安京にうつされたが、それより凡そ四百年程の間を、平安時代という。その初めの間は、朝廷の御威徳が広く行きわたり、蝦夷も平定せられて皇化に浴したが、中頃から藤原氏の一族が摂政・関白となって政治を運用し、栄華に耽り、その末頃には、世の中が乱れて、保元の乱や平治の乱が起こり、平氏が一時権勢を振るったけれど永くは続かず、やがて源氏に滅ぼされてしまった。

鎌倉時代
源頼朝は平氏を滅ぼして後、征夷大将軍に任ぜられ、鎌倉に幕府を開いて、七百年にわたる武家政治を開いた。しかし、僅かに三代で亡び、北條氏が執権として勢力を振るった。北條氏には義時・高時のような逆臣もあったが、泰時・時頼のように民政に力を盡したものや、時宗のように元寇を撃破した英雄もあった。

建武中興 及び 吉野時代
武家政治は、わが国体の本義に悖っているから、後醍醐天皇は、天皇親政の正しき御代にひきかえそうと思召され、鎌倉幕府を倒して建武中興を成し遂げられた。しかし足利尊氏が叛いたので、中興の政治は永く続かず、天皇は吉野に幸(みゆき)せられた。それより五十七年の間を吉野時代といっている。楠木正成・同 正行・新田義貞・名和長年・北畠親房・菊池武光などは、この間に出た忠臣である。

室町時代
吉野時代の次に足利義満が京都の室町の幕府で政治を取ってから、凡そ百八十年間を室町時代という。この間は戦乱が多く、中にも應仁の乱後は、天下が麻のように乱れ、群雄が四方に割拠して争ったから、これを戦国時代という。武田信玄・上杉謙信・北條氏康・毛利元就などは、その中でも名高い英雄である。

安土桃山時代
戦国諸雄の中、織田信長は、まず京都に入り、皇室を尊びたてまつり、四方を平定したが、事業半ばにして斃れた。豊臣秀吉は、その後を受けついで全く国内を平定し、更に明国を征伐しようとして兵を朝鮮に出し、国威を海外に輝かした。信長は近江の安土に居り、秀吉は山城の伏見(後の桃山)に居たから、この間を安土桃山時代という。

江戸時代
徳川家康は秀吉の薨(こう)じた後、関原の役で石田三成を斃し、江戸に幕府を開いた。それより十五代二百六十五年の間を江戸時代といい、外国との交際を狭くし、国内は泰平を楽しみ、産業は発達し、学問・芸術は進歩し、国力が養われた。殊に国学や、国史や、儒教や、神道などが学ばれて、天皇を中心にいただくわが国体の本義が明らかになり、その上、諸外国から開国を促され、ついに江戸幕府は倒れ、武家政治が滅びて大政復古となった。

現代
明治維新は現代の黎明(よあけ)であった。それより六十余年の間、明治天皇・大正天皇・今上天皇陛下の御威徳の下にあって、わが国運は隆々として盛(さかん)になり、領土は広まり、富は増し、学問は進み、国威は全世界に発揚された。私共はこの立派な国史を顧みて、ますます忠君報国の心を堅くするのである。
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今の日本史で教えられてる内容との大きな違い、おわかりでしょうか。
ちなみにこの監修者の中村孝也氏は、これでもバリバリの皇国史観とは異なるタイプの歴史学者だったようですが、それでもGHQ占領による保守系教育者の総公職追放により、教壇を去られた一人です。

まずは日本の紀元にかかわる、古代における縄文時代・弥生時代というのはGHQ占領期に唯物的な左翼学者に創作されたデタラメの歴史。「ウソも百回言えば本当になる」を地でいって実現させたのが戦後の歴史教育であるわけで、縄文だの弥生だの、そんな時代は日本には元々存在しないし、縄文人だの弥生人だのは捏造された言葉です。天皇以前に邪馬台国が支配してたなんてのもとんでもない話神武帝による建国後を大和時代とし、それより前は正しくは“神代”なのです。日本人のルーツ、天皇に関わるこの“神代”を歴史教育に復活させねばなりません。もちろんここの読者は、正しくは「神代なんだよ」って子供たちに教えてあげてくださいね。
また、上の年表には神代における日本武尊(やまとたける)の活躍や神功皇后の朝鮮征伐、朝鮮半島の日本府 任那の滅亡など、今の日本史では教えられなくなった日本書紀や古事記にある事柄についてもしっかり記載されてます。そしてもちろん、年表の通り当時の年号表記はすべて皇紀○○年なのです。これら日本の歴史の基本が、GHQ占領後にすべて書き換えられました。

そして建武中興以後の、今では南北朝時代なんてされてる頃も正しくは「吉野時代」。足利尊氏は後醍醐天皇に叛いた逆賊、足利氏の立てた北朝と呼ばれるところの正当性は存しません。楠木正成・正行の父子、そして新田義貞などの忠臣たちが、日本人の美徳の象徴として、戦前の教育ではとにかく大きく扱われています
また豊臣秀吉の朝鮮出兵についても、国威を輝かせたものとして触れられてます。

今日は、まずは年表と概略文でしたが、集めた戦前の教材等を引き続きいろいろ公開していくつもりですので、ぜひ保存、周りにも広めてくださいね。いずれも貴重な資料となりますので、その意義は大きいと思ってます。今の日本人がこれまで勉強してきた歴史を見直していく上で、グダグダと文章を並べるよりも具体的資料の提示で反論余地もありませんし、一目瞭然ですから。

今まで学んだものを捨て、真の歴史を勉強しなおしていきましょうね。学習中の方は教科書を捨てるわけにもいかないでしょう……けれどそれらは受験のため、と割り切ってそれらとは全く別の歴史を学んでいく必要があります。
前に比べて少なくなったとはいえ、それでもここにはかなりの方が今でも見に来られてるし、その中に、ある程度の方がおられれば大きな影響及んでいくこともあるかもしれない。命絶えても思いをつないできた日本人のこれまでの歴史、魂を信じて。

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