日本の面影

Glimpses of Japan   旧:うぃすぱー・ぼいす
失われる日本人の精神性に、将来を憂う  リンクフリー

“奥さん”と“ダンナ” 乱れる日本語 〜 正統派なら“主人”と“家内”

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(2015.11.12)
最近、目立ってるのが、妻や夫と呼ばず“パートナー”なんて呼ぶところが増えてきてるところ。まあ未婚の二人ならまだ“パートナー”と呼んでもいいのかもしれませんが、結婚して夫婦にまで成ったのに“パートナー”なんて呼び合ってるのは日本人的な言葉遣いでは決してないはず。“パートナー”なんて呼び方も、左翼やフェミの男女平等から来た派生用語ですから、何気なしに夫婦に対して使ってる方いたらご注意ください。私もこういうのに気づきはじめる前に一時期使ってましたが、違和感覚えた今では絶対使いません。

また、古い日本映画を見ると、身分の高くない家では、妻が夫に「おまえさん」と呼んでることが多いですよね。実際、そう呼ぶ家が多かったようです。ただしそういう家では、夫の側は妻を「おまえ」と呼ぶことが多そうです。「ダンナを“主人”と呼ぶのには抵抗がある。“主人”という呼び方も大正・昭和期に始まった割と新しいものだ」と主張されるような方は、さらに昔の下流層の日本人通り「おまえさん」と呼べばいいでしょう。しかし、その場合はダンナから「おまえ」と呼ばれてしかるべきなのでしょうね。要するに「おまえ」にも、女が男を呼ぶ場合は敬称の「さん」を付けて「おまえさん」と呼んでいたということなのです。いずれにしろ、男が女を呼び捨てにしたり「おまえ」と呼ぶことはあっても、女が男を呼ぶ場合の呼び捨てはありえず、必ず何かしらの敬称が付けられていたというわけです。

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(2012.2.22)
昨日に続く話ですが、こう言えば一番わかりやすいでしょう。
「主人に相談します」
「家内に相談します」

どっちも相手への大変な敬意が込められてます。
“主人”という言葉はもちろん、“家内”(かない)という言葉だって家のことは妻に仕切ってもらってるからって・・・こんなヒトコトの言葉だけで互いに相手をタテ合ってること、おわかりいただけるでしょう。

仕事せず家でゴロゴロしてる夫でも“主人”、外で働いてる妻だって“家内”、そう呼んであげるのが正統派でしょう。

両親が普通にそう言い合ってる家で育った方なら何の抵抗もなく自然に言えて当たり前ですが、そうでない方だと何だか照れくさいと感ずる方おられるかもしれません。でも慣れれば、こんなの当たり前に感じるようなります。
そして、気安く「ダンナ」って言葉使ってる人に対する見方も変わってきます。
こういうのは大したことないと思ってる人多いかもしれませんが、見る人からすればとっても“育ち”が表れるものなんですよ。

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(2011.7.1)
新島襄の妻 八重が、夫を「ジョー」と呼び捨てにしていたことが、当時では周囲から問題にされ、そこにNHKが着目して新島八重をヒロインとする大河ドラマ『八重の桜』でフェミニズムを煽ることからしても、相手や人に対する呼び名や呼称というのは、互いの人間関係を示す意味でとても重要な指標になります。
天皇陛下や皇室への呼称にこだわるのは、その最たる表れといえるでしょう。

女が、夫はもちろん、男を呼び捨てにするなんて、一昔前までありえなかったこと。
やはりハリウッドや、このところのバカな日本映画・ドラマの影響でこうなってしまったのでしょう。

昔の山口百恵のドラマとかでも、相手の男のことは、必ず“○○さん”と呼んでました。
良家なら、母が息子を呼ぶ時も、必ず“○○さん”と呼んでました。これは日教組的な平等イデオロギーからではなく、男に対する女の尊敬の念が自然に表れた形でした。昔の女はそれだけ男をタテ、子供にだって尊敬の念を示していたんです。同じ“さんづけ”でも、左翼 日教組的な平等意識からではなく、階級感覚から生まれたもの。これは、昔の日本映画やドラマを見れば明らかです。

“主人”と“旦那”

イデオロギーってのは、ヒトコトの言葉や仕草一つに表れてくるもの。
そして、夫のことを、外で“主人”と呼んでる女性って、今、どれくらいいるでしょう。
40代まではそれが主流かもしれないが、30代以下だと、なかなかいなくなってる気がする。

保育園のママ友とかでも、夫を“主人”と呼ぶような方は極めて少数派、大概が“ダンナ”と呼んでます。ごく親しい昔からの友人とかと話すのなら、まあ、かまわないかもしれませんが・・・
でも、女であっても自分も働いていれば、夫を“主人”と呼ぼうなんて感覚、きっと消滅しつつあるんでしょうね。

「そこの若旦那!」、いかがわしい店の客引きとか、ちょっと男をおちょくって呼ぶ時にも使いますね。
そして、売春婦のパトロンのこともいう。「旦那がつく」、「旦那を取る」って風にね。
戦前の女性で、自分の夫のことを「うちのダンナが・・・」なんて言ってたのは殆どいなかったはず。
旦那という言葉には、他人が言う場合はともかく、自分の夫を言う場合、少なくとも尊敬の念というのは入っていません。
自分の妻に「うちのダンナが〜」なんて外で言われていて、それを感じよく思う男なんて一人もいないと思ってください。

やはり保守系女性が夫のことを言う時は、“主人”という呼び方をすべきでしょう。
きちんと教育されてる女なら、“うちのダンナ”なんて言わない。“主人”と言うのが常識。
他人が人の亭主の話をする時にも、相手への尊敬の念も持って、ちゃんと“ご主人”と呼んであげましょう。
昔のドラマなら皆、女が「主人が・・・」と言ってるのが当たり前でしたが、きっと今後はそういうのが消されていくことでしょうね。
奴ら左翼は、日教組系の教職員団体によって、子供たちの父兄に向けて、「夫を主人と呼ぶのをやめよう」なんて運動だって時々なされてるくらいです。

女中なら雇い主を“ダンナ様”と呼んだりします。本来、女中は雇い主のことを“主人”とは呼べません。
けれども、亭主を「主人」と呼べるのは妻だけなんですよ。
変なSM漫画・アニメとかで、女に“ご主人様”とか呼ばせてるのは、“主人”という言葉を貶める意図が働いてるようにさえ、最近は思ってます。

私が通う茶道教室の皆さん、少なくとも今は、「うちの主人が・・・」と言ってます。
反面、今の保育園のママたちと話してると・・・
大体、顔や言葉遣いから100%判断できるといっても過言ではありません。
他のお母さん方と話して、ヒトコトで保守系かリベラルかがわかる。

国語辞書より  だんな 【×檀×那/×旦×那】 《(梵)dnaの音写》
1 ほどこし。布施。転じて、布施をする人。檀越(だんおつ)。檀家。
2 商家の奉公人などが男の主人を敬っていう語。「店の大―」
3 商人が男の得意客を、また役者や芸人が自分のひいき筋を敬っていう語。また一般に、金持ちや身分のある男性を敬っていう。「―、これはよい品でございますよ」「顔見世に―衆を招く」
4 妻が夫をいう語。他家の夫をいう場合もある。「お宅の―」
5 妾(めかけ)の主人。パトロン。「―がつく」「―を取る」


このように“ダンナ”という言葉は、いろんな相手に使われ、かなりいかがわしい意味まで含まれますが、“主人”という言葉が使える相手というのは本来、一人だけです。
しかも“ダンナ”には、お金が絡んでの関係が多く含まれていますよね。
しかし“主人”とは、主(神)という言葉が元になってることからしても、金銭で作られた関係では本来ないはずだし、該当する対象も一つだけのもの。
“ダンナ”という言葉について、詳しくはこちらもご参照ください

“カミさん”と“奥さん”、“家内”

対して、夫が妻のことを外で言う場合について。
少し前から、男性芸能人が妻のことを、“うちの奥さん”とか言ってるのに大変な違和感を覚えていた。

国語辞書より  おく‐さん 【奥さん】
他人の妻を敬っていう語。「おくさま」より、ややくだけた言い方。

この通り、“奥さん”とは他人の妻を指す言葉であり、“うちの奥さん”とは非常におかしな言葉遣いです。本来、自分の妻に対して、こんな言い方しません。それとも、そんなに自分の妻が遠い存在なのか・・・と思ったけど、芸能人なんて、実は本来の正しい日本語なんて知らない朝鮮人ばかりだからではないかという気がしてます。
恐らく“うちの奥さん”なんて言葉を最初に使い始めた奴、きっと日本語の深い意味を知らない朝鮮系だったのだと思う。

TVで芸能人が“うちの奥さん”と言う、おかしな言葉遣い。一般でもそういうのが普通になりつつあるのかもしれませんが、私には激しい違和感や拒否感があります。しかしTVで普通にあんな使われ方してると、すべての日本人が変な使い方していくのは間違いないし、既にそうなってるのではないでしょうか。

では、男が妻のことを外で言う場合は何がいいか。、
女なら、外にいる夫から“女房”なんて呼ばれてほしくないでしょ。
“家内”(かない)、あるいは“カミさん”と呼ばれた方がよくない?
“カミさん”は、その名の通り、神様からの由来。つまり、“主人”と同じです。

子供が外で親のことを話す時も、きちんと「父」 「母」と言うよう躾けましょう

さらに最近の芸能人は、自分の親のことを話す時、“お父さん”、“お母さん”、あるいは“パパ”、“ママ”と呼んだりしてますよね。大人が人前で親のことをこんな風に言うのは、日本人の流儀に反します。
当然、本来は“父”、“母”のはず。

また最近、公園で子供と遊んでると、妹が兄に対して“お兄ちゃん”と呼ばずに名前を呼び捨てにしている家族も目につきます。

家のパパとママがどんな風に呼び合ってたか、外の人と話す時はどうか、小さな子供たちにはとても重要。きっとお母さんの態度は、そのまま子供に模倣されることでしょうから注意してください。

特に娘には、夫のことを“主人”と呼ぶよう、きっちり仕込んでおきましょう。息子に対しても、妻に対する呼び方を教えておきましょう。そして、両親のことを外の人に話す時は、しっかり“父”、“母”と呼ぶよう躾けておきましょう。妹はもちろん弟だって、兄や姉を呼び捨てにしてはいけません。

何事も、やっぱり形からですよ。ここがしっかりしてない家庭は、何かしらそのことが家族関係に既に表れているものと思ってます。
今日の記事で「ガーン!」と来たり、耳に痛い話だと感じた方おられるとするなら、それだけ左翼の洗脳は根深いのだということ、改めて思い知っておきましょう。   (続く)

『ヘイ・デュード』  クーラ・シェイカー (1996)
Hey Dude - Kula Shaker
 (詳しくは右画像クリック)
記事と関係なし。ビートルズの同タイトルが有名ですが、グルーブ感最高のこの曲も大好き。当時、このバンドは日本でも大人気でした。

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(2013.9.27)
この夫婦、2人でいる時はどんな風に呼び合ってるのかは知りませんが、外向けに話す時はきちんとこう話してる・・・里田まいは、いわゆるバラドルであり、バカっぽいこともやってましたが、芯はチャラチャラせず強そうな娘だなと感じてましたが。

【イーグルス優勝 里田まい 歓喜の涙!愛情レシピでマー君支えた】2013.9.27 サンスポより)

主人がマウンドに上がる時は、周りが見えないくらい熱い感情が込み上げてきました」

記事読めばおわかりですが、里田は常に「主人が」「主人なら」と、「主人」を連発してますね。自然とこんな風に言葉が出てくるってことは、やっぱり育ちが表れてるのだと思います。しかも里田まいの方が5歳も年上であるのに。
これが「主人が」でなく、「ダンナがマウンドに上がる時は」「ダンナなら」、あるいは「マー君が」と言っていたら・・・まだ、まともな言語感覚持ってる日本人なら、この大きな違いはおわかりでしょう。
開幕から22連勝した田中将大投手がスゴすぎるからとか言う人もいそうですが、そうでなくとも普通に女がこんな風に男を立てていれば、男も自然と変わっていくものなんです。男性の方は皆、里田みたいな奥さんが欲しいのでは?
女の方だって自分がシッカリしていてこそ、立派な男運を呼びこんで結ばれるのですよ。

そういや小柳ルミ子は、おしどり夫婦でしたが離婚した年下夫の大澄賢也に、いつも「ケンヤくん」なんて呼んでましたね。

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(2014.7.8)
反フェミとしてハッキリした態度とられる政治家はなかなか脚光を浴びることがありませんけど、きっと自民党なんかより他にも沢山いるんでしょうね。
政治家になられる前から私と同じ、こういう感性を持たれていた(分裂するんでしょうが)日本維新の会 杉田水脈女史。議員当選前、これほど明快な主張をなされてたのに、最近、本を出されましたが、男女共同参画局を痛烈に批判してるわけでもなく、あまり売れてないようですね。KAZUYAなんかとやんなきゃよかったのに。
政治家なんて正々堂々と自分の信念を主張すればいい。人ではなく天に向けてすればいい。変に誰かに媚びる必要なんてない。
以下は杉田水脈議員のブログ『男女共同参画なんて要らない!』(2011.2.21)より。 
◆     ◆     ◆     ◆     ◆     ◆     ◆
・・・ちなみに私は友達と話すときは「うちの旦那がね〜」とか、「ダーリンがさ〜」と言ったりしますが、きちんとした場所で話すときは「主人が」といいます。

配偶者をなんて呼ぶかはTPOの問題。日本人としての礼儀です。
子供の頃、「家ではお父さん、お母さんでいいけど、外でお話しするときは、父、母っていいなさい」と教わったのと同じだと思います。

・・・昨日参加した(男女共同参画センターの)イベントでの出来事です。
男性を対象としたお料理の講座だったのですが、いきなりスタッフの女性の方が入ってきて参加した方々の自己紹介が始まりました。
その中で、年配の男性が「うちの家内が」と発言したとたん、スタッフの女性が、口を挟みました。
「その言い方はおかしいですね。正式には『妻』です。」
思わず唖然としました・・・

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(続き)◆70年代後半から男を呼び捨て子供番組による男女平等精神侵略 〜 日本人なら、女が男を呼び捨てにしてはいけません

◆特に女の子の場合は、育て方をハッキリさせておかないとヤバイことになりますよ 〜 子育てについて 女の子編

◆子供たちへ仲のいい兄弟姉妹を育てる術を教えておかなければいけない 〜 一人っ子の増えた現代だからこそ

◆『幽霊滝の伝説』 バチ当たり女の話 〜 ドラマ『日本の面影』より

◆最近の女の子とプリキュア 〜 男の子が女の子にケリ入れられて入院

◆イザナギとイザナミに見る、日本における男女のあり方 〜 日本神話を題材に

◆男はタネ、女は畑・・・人はタネ、社会環境は畑

◆30歳以下で女性が男性の収入を上回ったというショッキングな現実!〜 ついにここまで来たかって感じ

◆プリキュア洗脳されたパッパラパー母娘たち 〜 こんなのが今の女性の目標!?

◆専業主婦の出現が抜群の家庭安定をもたらした!〜長期で見る日本の離婚率推移

◆女が仕える価値ある男、男が守るべき価値ある女 〜 今の“男女平等”社会のままで目指せると思いますか?

◆フシダラ女には“ズベ公”、“アバズレ”の蔑称を!〜 女こそ使いまくれ

◆歌に見る男女観の変遷 〜 失われた自然に叶った男女観

◆強烈なカルト悪平等主義の洗脳 〜 子供に“さん”づけ、先生が生徒に敬語を使う
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真実の日本の歴史 〜 天智天皇 律令の選定
戦前の日本史教科書準拠 参考書より

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宮内省の名はこの頃に生まれました。明治政府のような近代的な省庁・組織体制というのは、現代では西洋に倣って作られたように教えられていますが、今日の内容でおわかりのように、日本においては大化の新政 天智天皇の時代に既に完成していたのですよ。しかも学制まで整えられていた。なんだか今の日本史教育では、この頃の政治機構が古臭くて原始的、すごく遠いものであるかのよう感じさせる古代貶め偏向教育がなされてるわけですが、こうやって見れば、ものすごく身近で完全に現代に通じるものであったことが明快に伺い知れます。今回は驚きの内容ですからね ^▽^) すごいリアルだし、古代の人々って、現代人とそんなに変わらないんじゃないかって、きっと感ぜられることでしょう。それさえ気づけば千年前の人とだって二千年前の人とだって、その思いを一にして通じることが出来るわけです。
百年前の教科書や歴史学習教材と今の教材、ここまで読んできたら、今の教材はまるで話にならないこと、おわかりでしょう。昔の教材さえあれば、もう何もいらないのです。今の上っ面評論、俗物的な歴史書では、偉大な先人たちと心を通わせることが出来ません。
今後の歴史学習で聖徳太子がいなかったとされてしまうコチラで触れたのと同じような事例について、ゲーテ(1749-1832)は前にも紹介した『ゲーテとの対話』(エッカーマン 著・詳しくは右画像クリック)で次のように評してます、
「これまで世間では、たとえばルクレティアとかムキウス・スカエヴォラとかいった英雄精神が信じられてきた。それによって、心を暖められ鼓舞されてきたのだ。ところが今や歴史批評などというものがあらわれて、そういう人物は存在しなかったのであり、単にローマ人の偉大な精神がつくりあげたフィクションか寓話と見なすべきだ、というのだね。しかし、そんなみすぼらしい真実を聴いたところで、しょうがないよ! ローマ人が、そういうものを創作するほどに偉大であったのなら、われわれにだって、せめてそれを信ずるだけの偉大さがあってしかるべきだろうに。」

この通りゲーテの時代から先人の偉業をないがしろにする歴史改変は目立っており、そのような風潮をゲーテは嘆き、古代であれいつであれ、実在の先人が記した記録を後世で作り話だの寓話だのと見下す人々を信用せず、古代人、先人の偉大さ、その真実に気づいていました。
ハッキリ明言しておきますが、ローマ帝国や唐の國、そしてこの頃の大和朝廷の方が国家統治の完成度は現代の国家より高かったのですよ。現代国家の方がボロボロなのです。これほど優れた近代国家を打ち建てたのが、天智や文武の先帝だったのです。

『最新 日本歴史解釈』(1917年・妻木 忠太 著)より


【目次はコチラ】

天智天皇の御治蹟
近江の大津に奠都(てんと)―政治に勵(はげ)み給う―戸籍の修正(戸籍を造り 盗賊 浮浪を糺(ただ)す。庚午年籍(こうごねんじゃく)―学校の興起―後世 中興の英主と称し奉る(近江朝廷の政)。


天智天皇と藤原鎌足
中臣鎌足 天智天皇 中興の業を輔(たす)け奉る―律令の選定に著手―天皇即位の翌年 鎌足病む―天皇の御親臨―皇太弟を遣わし大織冠の位を授け藤原朝臣の姓を賜う(藤原氏の始)―其の子孫 漸く顕(あら)われ一門 大に栄ゆ―多武峯(とうのみね)談山(たんざん)神社。


律令の撰定
天智天皇の時の律令先帝(近江令)―天武天皇 文武の政を励み給う―律令の續修(続修)―文武天皇の時の律令改修―忍壁(オサカベ)親王・藤原不比等(フヒト)改修の命を奉ず―大宝元年に完成(大宝律令)―令は管制・田制・兵制・学制・税制等 今の民法に關(かん)する制度規則を定むー律は今の刑法に当りて決罪の標準を示す―主に唐の制度に倣い我が國 古来の風俗習慣を参酌(さんしゃく)して規定す―元正(ゲンショウ)天皇の時 不比等に修刪(しゅうさん)の命を奉ず―養老2年に完成(養老律令)―我が國 法制の根本。


大寶(宝)律令の大要
(イ)官制
中央政府に神祇(じんぎ)・太政(だじょう)の二官と中務(なかつかさ)・式部(しきぶ)・治部(ぢぶ)・民部(みんぶ)・兵部(ひょうぶ)・刑部(ぎょうぶ)・大蔵(おほくら)・宮内(くない)の8省―省の下に職・寮・司―神祇官の長を伯とし祭祀を掌(つかさど)る―太政官に太政大臣・左右大臣・大納言等ありて諸政を統べ8省を官す―各省の長を卿とし政務を分掌す―此の外 弾正臺(だんじょうだい)ありて違法の者を罪す。
地方の重要地に特別制を布く―京都に左右京職(しき)―摂津に摂津職―西海道に大宰府―諸國に國司 各郡に郡司―各地方の政務を掌る―すべて各官衛に四部官(しぶかん)
(ロ)兵制
徴兵法―京都に五衛府(ごえぶ)―諸国に軍團(団・ぐんだん)―邊(辺)要地に防人(さきもり)―軍団は毎國 正丁三分一を兵に採用―其の一部 交代 上京して衛府に入る―また出でて防人となる。
(ハ)學制(学制)
京都に大学―諸國に國學―共に地位ある人の子弟を教育す―成業後に考試(こうし)して官吏に登用す。
(ニ)田制
6年毎に班田収授―男子6才にして口分田二段―女子は男子の三分の二の口分田―死後 口分田を公収す。
(ホ)税制
租・庸・調の三種―租は田より納むる稲―庸は一定の労役に服せざる者より納むる布―調は絁(あしきぬ)・絹・布等―租は主に國郡の費用に充つ―庸・調は京都の用度とす。
(ヘ)刑制
笞(ち)・杖(じょう)・徒(づ)・流(る)・死の五刑―皇親また高位・大才・大功の者は殊に寛典(かんてん・情けある取り扱い)に浴す―君 父に関する罪 最も重し―大虐の犯罪者には大赦(たいしゃ)の外 赦免なし。
(ト)位階
親王の位は一品(いっぽん)より四品(しほん)に至る四階―諸王の位は正一位より従五位下に至る十四階―諸臣の位は正一位より少 初位下に至る三十階。


〇大津宮遷都
旧帝都は、今の近江滋賀郡滋賀村にして、天智天皇6年3月 此に遷都し給う。当時、人民 遷都を好まずして、之を諷諫(ふうかん)し奉るものありしが、十年 天皇 此に崩じ給いて、天武天皇の即位に及び、大和の飛鳥 浄見原(きよみがはら)宮(高市郡飛鳥村)に遷都し給えり。
〇庚午年籍
天智天皇の9年2月、新に戸籍を造りて盗賊 浮浪のものを糺斷(ただす)せしめ給う。此の年 庚午の年に当れるを以て、庚午年籍(こうごねんじゃく)と云い、後来 戸籍の原簿として永く除かず、之によりて氏姓の紛乱を正せり。
〇中臣鎌足と多武峯談山神社
中臣氏は天児屋根命(アメノコヤネノミコト・コチラ参照)に出づ。鎌足は御食子(ミケコ)の子にして夙(つと・早くから)に大志あり。皇極(コウギョク)天皇の3年、神祇伯に拝せられしがつかず、此の時に当り、蘇我入鹿父子 無道にして不臣の心を挟む。鎌足 憤然として匡済(きょうさい・悪を正し乱れをすくうこと)の志あり。賢明なる中大兄皇子に親近し奉りて志を語り、共に皇室を輔翼(ほよく)し奉らんとす。されど人の嫌疑を恐れ、共に南淵請安(コチラ参照)に学ぶに托し、往来に事を図る。鎌足 皇子に勸(すす)め奉り、蘇我倉山田石川麿(ソガノクラヤマダノイシカワマロ)と婚を結ばしめて皇子の輔佐とし、また佐伯子麿(サエキノコマロ)等を與黨(よとう・くみする仲間)とす。翌4年6月、三韓進調の日を以て事を挙げ、皇子と共に入鹿を誅す。入鹿の父 蝦夷また自殺して蘇我氏の本宗 此に滅亡す。孝徳天皇 即位に及び、内大臣となりて大織冠を授かる。而して大化改新は、皆 鎌足が中大兄皇子と図りて画策せる所なり。尋(つい)で中大兄皇子(天智天皇)未だ即位し給わるざるに当り、鎌足に命じて律令撰定に着手せしめ給う。天智天皇の2年10月、鎌足 疾あるに及び、天皇 親臨して其の病を訪ひ給い、更に皇大弟 大海人皇子(オホアマノミコ)を遣わして大織冠を授け、且つ内大臣として左右大臣の上位に在らしめ、また藤原朝臣の姓を賜う。此月年56を以て薨ず。其の薨ずるや、摂津三島郡阿威(アヰ)山に葬りしが後、大和磯城郡多武峯に改葬し、廟塔を建てて木造を安置す。後の談山神社 是なり。藤原氏の盛時には、朝野の尊崇(そんすう)甚だ厚く、明治7年朝廷 鎌足の功を追賞して、談山神社を別格 官幣社に列し給えり。
〇近江令
天智天皇は律令の必要を思し召し給い、未だ即位し給わざるに当り、始めて中臣鎌足に命じて之が編纂に着手せしめ給う。かくて天皇即位の年に至りて全22巻成る。之を世に近江朝廷の令と云う。後に天武天皇の修正をへて、持統天皇の3年に全一部22巻の発表せられしもの即ち是なり。
天武天皇の御事蹟
天皇 即位し給いてより、精勵(せいれい・つとめはげむ)治(よい政治が行われること)を図りて朝制・法令等ますます改進し給い、朝儀・官制・兵制・刑罰・風習など大に整理し給えり。即ち親王以下 人民に至るまで服用の差別を定め、跪禮(きれい・地べたにひざまずいて礼をすること)葡匐(ほふく・腹ばいになって手と足ではうこと)の禮(礼)をやめて立禮にふくし、爵位を改めて朝服の色を定め、諸氏の族姓を改めて八色の姓を作り、任官陞(昇)進の法・社寺土地の制を定め、民業を奨めて浮浪の徒を戒め、兵の上を定め、また各戸に兵馬を貯えしめ、軍器を軍役所に収めしめて兵制を改め、其の他 刑罰を整え学術技芸をすすめ給えり。
〇忍壁親王
忍壁を一に刑部(ぎょうぶ)に作る。親王は天智天皇の皇子なり。天武天皇の9年 詔を奉じて帝紀及び上古の事を撰し、朱鳥(しゅちょう)元年 封百戸を加えらる。文武天皇の4年、勅を以て藤原不比等と律令を撰す。後 親王となりて三品に敍(じょ・位を授かる)し、大宝元年 知太政官事(ちだじょうかんじ・太政大臣の職を知る官)となり、慶雲元年 封二百戸を瓩掘⇒眷 越前の地 百町を賜わり五月 薨す。
〇藤原不比等
内大臣 鎌足の二子なり。持統・文武・元明・元正の四天皇に仕え、累進して和銅元年 正二位右大臣となり、養老2年 太政大臣に任ぜられしも辞して受けず。文武天皇の4年、勅を奉じて律令を撰し、慶雲元年 封八千戸を瓩掘同4年 天皇其の勤労を嘉(か)みし封五千戸を賜いて子孫に伝えしめ給う。不比等 其の二千戸を受け一千戸を以て子孫に伝う。養老4年 疾を以て薨ずるや元正天皇 深く悼惜し給い、為に朝を廃し、詔して太政大臣正一位を贈り文忠と諡(し・おくりな)らせ給う。時年62。其の四子 武智麻呂・房前・宇合・麻呂 皆あらわれ一女の宮子媛は文武夫人となり、光明子は聖武皇后となる。
〇大宝律令の説明と我史上重要の所以
大宝律令は主として唐の制度にならい、我が國 古来の習慣を斟酌(しんしゃく)して定めたるものなり。されば大禮に於て朝廷の政治の基本となりて永く用ゐられ、武家政治の起るに及び、其の費用少なくなりしも、管制の如きは名義を存して明治維新に至り、王政復古の管制 之によること多く、明治18年の管制改革にまで及べり。
〇弾正臺(だんじょうだい)
今の警視廳(庁)の如く、風俗を粛清し内外の非違を糾正する役所にして、長官を尹(いん)と云い、其の下に弼(ひつ)・大少忠・大少疏(そ)あり。
〇左右京職と摂津職
左右京職は、京都 左右雨京の民政を掌(つかさど)り、兵士を簡(えら)び、租税を収め、訴訟を聴き武器を修むるなど諸般の事を行う。また摂津職は、職掌 概ね左右京職に同じく、船舶の停る津港地に在るを以て、特に此の職を置かれたれば、郵驛・伝馬を備え、舟具を検する等の事をも掌る。
〇大宰府
府址は今の筑前筑紫郡水城村に在り。此の府は四邊の要鎭にして、西海道九國三島を官し、兼ねて外寇に備え外交の事を掌る。長官を師と云い、其の下に大少貳(弐)・大少監・ 大少典等あり、大宝元年設置の後、天平14年 之を廃し、同17年 之を復せしが、後 次第に衰え、源頼朝 鎭西奉行(ちんぜいぶぎょう)を置きてより有名無実となれり。
〇律令と格式
大宝律令の制定せられてより、此の律令は著しき修正なし。而して律は今の刑法に等しく、令は政治上必要なる種々の規則を網羅せるものなり。若し之が修正増補の必要起る時は、別に詔勅または太政官符等にて之をなす、之を格と云う。また律令を施行するに当りて、必要なる細則は別に之を定む。之を弐と云う。
〇四部官
大宝令にて制定の諸官衛には、概ね長官(かみ)次官(すけ)判官(じょう)主典(さくわん)の四等の官吏あり。之を四部官と云う。長官は各官衛の長にして其の政務をすべ、次官は長官を助け、判官は官衛の取締をなし、主典は書記をつとむ。例えば八省にて長官を卿とし、次官は大少輔とし、判官を大小丞とし、主典を大少錄とし、また弾正臺にて長官を尹とし、次官を弼とし、判官を大少忠とし、主典を大少疏とし、國にて長官を守とし、次官を介とし、判官を大少掾とし、主典を大少目とし、郡にて長官を大領とし、次官を少領とし、判官を主政とし、主典を主帳とするが如し。
〇五衛府
禁衛を掌れる官府を五衛府と云う。五衛府とは衛門府・左右衛士府・左右兵衛府を云う。
〇軍團(団)
非常に備うるため諸國に配置したる軍營(営)にして、今の師団の少なる如きものなり。其の兵士は管内の男子二十歳以上六十歳以下の正丁中、其の三分の一を徴発して一軍団を組織す。概ね四郡に一軍団を置き、各軍団の兵員同一ならず、千人以上を大軍団とし、六百人以上を中軍団とし、五百人以下を小軍団とす。各団兵士を検し武器を具え弓馬を調へ陣列を閲(えつ・見て確かめる)す。而して軍団中より上京して禁中に宿衛するものを衛士と云い、邊防に出づるものを防人(コチラ参照)と云う。
〇口分田
天下一般に各人に等しく給与せる田地を云う。人生れて六歳に至れば一人毎に二段を給し、女には其の三分の二を与え、各力作して租を上に納め、其の餘(余)を己が食料とし、身死すれば公に還へす。故に政府は、六年毎に人民の生死を調査して其の収授を行う。之を班田収授の法(コチラ参照)と云う。此の方法は大宝令の時 制定せられしが、後 暫く実行せられず、承平天慶(じょうへいてんぎょう)の乱(皇紀1595―1601・平将門の乱と瀬戸内海での藤原純友の乱の総称)後に至りて、廃絶するに至る。


(続き)真実の日本の歴史 奈良奠都 (史書撰修) 隼人 及 西南諸島の服属 (支那との交流)(制作中)

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(戻る)◆真実の日本の歴史 〜 蝦夷の服属 韓土の変遷(百済 高麗の滅亡・新羅の朝鮮半島統一) 戦前の日本史教科書準拠 参考書より

◆真実の日本の歴史 〜 大化の新政 戦前の日本史教科書準拠 参考書より

◆真実の日本の歴史 〜 蘇我氏の無道 戦前の日本史教科書準拠 参考書より

◆真実の日本の歴史 〜 聖徳太子 支那へ使節派遣 戦前の日本史教科書準拠 参考書より

◆真実の日本の歴史 〜 仁徳天皇と雄略天皇 顕宗 仁賢 両天皇 戦前の日本史教科書準拠 参考書より

◆真実の日本の歴史 〜 朝鮮半島の内附 神功皇后の征伐 文物の伝来 戦前の日本史教科書準拠 参考書より

◆真実の日本の歴史 〜 崇神天皇と垂仁天皇 戦前の日本史教科書準拠 参考書より

◆大東亜戦争(太平洋戦争)の起こったわけ (完答)

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◆戦後の歴史教育を捨てよう。 歴史教育 再興   ̄糞彿歛姑如\鐐阿旅饂法米本史)学習年表

◆親次第で自虐史観なんてどうにでもなる 〜 日本のおかげでアジア諸国の独立が早まった・・・そんなことで喜んでるのも自虐史観の亜種にすぎない
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朝鮮ピンクに注意! 〜 もはや極刑に処すべきひどさの朝鮮系色使い

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(2016.4.2)
駅前にあった韓国コスメの店は潰れてるようですね。

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(2013.3.25)
まっとうな感性持たれてる方なら既にお気づきだと思いますが、TV見てるとやけにピンク色が目立ちます。アニメの色使いのひどさはもちろん、トーク番組の背景セットから報道番組まで、いたるところでピンクが際立ってます。講談社の『たのしい幼稚園』の付録おもちゃとかとも、同系統といえましょう。

普通なら、見てて気持ち悪くて仕方ないはずですが、TV見てて、あんな色使いに何の抵抗感も覚えない方おられるとすれば、相当なレベルで色彩感覚がブッ壊れてると思ってください。それより何より、幼少期の子供のうちから、あんな色使いばかり見てると、将来に亘ってその美的感覚が破壊されてしまいます(子供たちの劣悪な朝鮮デザイン・センス化)。
だからもう、やっぱり今のテレビは子供に見せてはいけません。子供の教育上のことなんて、これっぽっちも考えてませんからね。すべて、子供たちを暗黒面に引き入れるための洗脳ツールにすぎません。パッパラパー、キチガイ増産装置。

前にコメントでいただいてた、ただいま放映中の女子向けアニメの色使い、どれもこんな風。
しかも『ドラえもん』ですら今や、「なんでこんなところがピンクなんだ?」ってほど、やけにピンクが強調されてます。
「色なんて関係ねー」、なんてパッパラパーしてないで、色にはこだわってくださいね。もちろんランドセルの色だって。それと、特に女の子の場合はとにかく服装に気をつけることは言わずもがなですが、ペットにもご注意を
シナ、朝鮮で騒ぐだけでなく、こういうところに敏感でないと、奴らに負けるよ。せめて自分の子供ぐらい、劣悪なメディア・環境から守ってくださいね。
もちろん、ドラえもんの映画が過去最大のヒットだなんて騒がれてるのも、インチキ統計ですからね。

『ドキドキ!プリキュア』 テレビ朝日系


『アイカツ!』(アイドルカツドウ!) テレビ東京系


『ジュエルペットきら☆デコッ!』 テレビ東京系


映画『ドラえもん のび太のひみつ道具博物館』 テレビ朝日・小学館 他


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(2013.7.8)

伝統美であるのが和服のはずなのに、伝統を継承して守るどころか、それに革命(レボリューション)を起こそうなんて発想自体が日本人ではない。
ピンクの強い色彩も偏狂的で日本的でないし、イオン(上写真)はネット上で朝鮮系だって散々叩かれてますが、単なる噂でなく紛れもない事実であることを裏付ける証しだと思います。モデルも朝鮮人臭い。

上写真は街中の韓国専門化粧品店。店名ものぼり看板もここにあるのと同系統の見事なピンクでした。左下写真は女児向けプリキュア・ノート、右下はプリキュア・カレー。

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◆日本破壊・売国バラ撒き“クールジャパン”国策で支援されるキチガイ劣悪音楽・アニメ・デタラメ日本文化(=暗黒勢力・朝鮮文化)

◆「男より女のほうが強いの!!」5歳にして終わってる女の子 〜 プリキュアになって戦う勘違い少女たち

◆幼児期に触れるものによって、音痴にも醜悪な美的センスにもなりうる

◆キムチ臭いデザインのハイジやミッキー、ピーターパンに北斗の拳 〜 キモカワ 『ナイトメアー・ビフォア・クリスマス』の魔の手

◆プリキュア洗脳されたパッパラパー母娘たち 〜 こんなのが今の女性の目標!?

◆キチガイ講談社『たのしい幼稚園』付録の卑猥な最低デザイン 〜 最近の書店の子供向けコーナーから

◆そして左翼マスコミは、働く女性と若いママ向けにはこんなものを用意 〜 キレイとカワイーにしか価値観を見出せなくなった女たち

◆ゲイ(同性愛者)と虹とソフトバンク 〜 LGBT=レインボーカラーとは 〜 日本人のモラル破壊プロパガンダ企業の筆頭 SoftBankと電通

◆本家ディズニーも顔負け! 日本人なら初期の東映アニメは見ておきたい

◆白昼から子供向けにポルノを垂れ流す変態TV局ども!

◆左翼メディアの日本人白痴化洗脳工作について 〜 『 人間獣化計画 』 と 『 中共対日工作要綱 』

◆最近の女の子とプリキュア 〜 男の子が女の子にケリ入れられて入院 〜 去勢され、女の衣装をまとい荒々しくもある男たちの国 プリュギアについて

◆ドラえもん、仮面ライダーだって、今や子供を左翼洗脳で堕落させる道具

◆子供をフヌケ化 宮崎アニメの左翼性 〜 強烈な反日・共産主義イデオロギー
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DVの本当の実態 〜 配偶者間の殺人 加害者の男女比は大差なし

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(2011.8.10)
昨日の、DVやセクハラなんて存在せず主観的な要素で作られるにすぎないという記事に関連して。

家族解体推進する、左翼のプロパガンダである“DV”という言葉すら使いたくないが、とりあえず配偶者間における暴力の実態、現実の被害状況とはどんな感じなのか。
内閣府 男女共同参画局に『STOP THE 暴力』(配偶者からの暴力で悩んでいる方へ)という、表紙からしてフェミ臭の漂う資料があって、それを元に実態を考察してみましょう。(右画像クリックでPDFファイルのダウンロードできます)

下表は男女共同参画局が管理する配偶者暴力相談支援センターへの相談件数。



上の表で見ると99%以上が女性からの相談であり、一見、DVが増加傾向にあるよう見えるが、実際の男女別の被害経験状況を調べたのが下の表。こっちでは女性の4人に一人が身体的暴行を受けてると強調されてるが、男性の方も7人に一人ぐらいは身体的暴行を受けてるという実態が浮き上がる。さらに精神的攻撃を受けたとする男女別の割合等も出ている。

上の表と下のグラフを見比べればわかるが、下の男の被害経験を見ると、本来なら上の相談件数の方でも3〜4割は男性からの相談であってしかるべきだが、実際にそんなところで相談までしてるのは女しかいないことが伺える。なので本当の被害状況というのは、下のグラフの方が正しいと見るべき。



配偶者間の殺人については、その加害者の男女比に大差はない

そして下表は警察で事件扱いになった数値であるが、この数値の分子が男性が加害者の分なので、これでは一見、暴行・傷害の9割以上は女性が被害者であるように見える。この表でも暴行・傷害の被害者のほとんどは女性だとか、わざわざ強調されている。
しかし、最も重大で事件化せざるを得ない凶悪な殺人になると、加害者側の男女比の開きは大差なくなり、女性が殺人加害者である比率が3〜5割程度に達している。
上グラフの被害認識調査を元にすれば、本来なら暴行・傷害事件だって3〜4割は女性が加害者であるはずだが、要するに男性は女性から暴力被害を受けても、警察に通報なんかしないということだ。
だから実際の被害実態は、警察沙汰にしてない男性が受けた暴行・傷害が、本当なら3〜4割ぐらいは占めていると見るのが正しい。

つまり「暴行だ」、「傷害だ」と、すぐに騒いで警察に通報する大半は、ほとんど女性しかいないということ。
この表では、やたら暴行だけ激増してるよう見えるが、こんなのどうせ、ちょっとビンタ食らったぐらいで、「暴行だ」って女が騒いでるだけでしょうが。男がビンタ食らっても、普通の男なら「DVだ」と騒いだり、警察に通報なんかしません。
人権洗脳されてる人たちって、ちょっと夫婦喧嘩したら、すぐ「警察に通報だ」ってなるんでしょうね。恐いですね。



もちろん男女問わず、深刻な暴力被害というものは存在するわけであるが、通報の大半はDV、DVと大騒ぎして、結局、離婚したり、慰謝料せしめたりする口実に、警察とかDV相談センターとか女が利用してるだけでしょう。

殺人が減ってるわけでなし、女が「DVだ」と騒いで有利な離婚等するため利用してるだけ。家族解体、離婚推進、こんな男女共同参画局のような部署や計画なんて、数兆円の予算の無駄遣い。相談所やDVシェルターだの、各自治体にもある男女共同参画推進室・・・フェミ左翼の利権にすぎません。ヘタすりゃ相談センターに電話してるのだって、サクラがいるのかもしれない。

夫婦ともども辛抱してうまくやっていこうなんて気持は微塵もなく、小さなことでも何かあると、男を悪者に仕立てて、女は弱者・被害者なんだと煽って・・・そんな風な発想しか起こさせない。こんなことにしかエネルギーを使おうとしない女が多いようでは、やっぱりダメでしょう。

いずれにしろ配偶者間の殺人の4割程度は女性が加害者であるわけだが、下記は殺されかかったという男性の声から。(2010.3.3 週刊現代 「夫に早く死んでほしい妻たち」より)

「ある日、妻が私のゴルフクラブを持って、車の助手席をメッタメタに破壊していた。浮気を疑っていたようで、『助手席に女を乗せられないようにするため』と妻は言ったが、次は自分がやられる、と身の危険を感じた」(40代後半・営業職)

「大型台風が直撃した日、早めに会社を出て帰宅したら、家にカギが掛けられていた。妻が中にいるのは明らかなのだが、こちらが戸を叩いても反応しない。近くの漫画喫茶で一夜を明かしたあと、家に戻って妻を質(ただ)したら、『強風の音だと思って気づかなかったわ』と平然と言われた」(39歳・広告代理店)

今年の元日には、東京都東久留米市に住む66歳の男性が妻と口論になった際に、石油ストーブのタンクに入っていた灯油をかけられたうえに火をつけられ、意識不明の重体になるという事件が発生した。


男の子をお持ちのママ、パパ、こんなことにならないよう息子さんを守りましょう。
そして、お子さんの人生をメチャクチャにしたくなかったら、すぐ「DVだ」と騒ぐような、フェミ・女権意識の強い女と大切な息子さんを関わらせてはいけません。
言っとくけどこれって、息子さんが些細なことで通報されて犯罪者にされるってことですからね。
悪い虫がつかないよう、しっかり子供たちに教えておきましょう。
女の子をお持ちの皆さんは、変な方にばかりベクトルが向く娘にならぬよう、しっかり育て上げましょうね。

映画『危険な情事』-Fatal Attraction(1987)ハイライト(詳しくは右画像クリック)
監督:エイドリアン・ライン 出演:マイケル・ダグラス、グレン・クローズ
男が凶悪な女からつきまとわれる、サスペンスの大ヒット作。男の不倫が原因であったわけではあるが、その代償は大きかった。見境をなくした女の恐さと、嫌がらせを受けて子供を連れ去られ、最初は動転するが夫・子供を守ろうとする妻の強さ、立派さが対照的。今の悪辣なフェミなら、浮気した夫を悪者に仕立て上げ、その不倫相手の女と妻が結託して男を徹底的に叩きのめすような話にされそう。

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(2011.8.12)
ここで紹介の内閣府 男女共同参画局作成『STOP THE 暴力』にある図表、よく見て気づいたのですが、やたら女だけが被害に遭ってるかのよう偏向的な作り方がされていて、普通の人だと、これ見ただけでは、その実態認識を誤ります。
要するに、被害者としての女ばかりが強調され、加害者としての女が全く見えない作りになってるわけ。作成者なり監修者は、相当な悪意あるフェミニストだね。

夫婦間の殺人、普通に作れば正しくは上の表のようになるはず。『STOP THE 暴力』にある資料では、配偶者による殺人加害者が女性の分の数値が、一見してわかりませんよね。
殺人のみならず、暴行・傷害の本当の実態も、上の表の男女比におよそ倣うものと見て間違いないと思います。加害者 女の割合が4割前後、大体、こんなものでしょう。
こんな作業しないと真実が見れなくしている、奴らの情報操作、やり口はひどいです。

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◆DVやセクハラは存在しないが、虐待は存在する 〜 女権洗脳の次に来る、子供の権利洗脳

◆高慢な女がのさばり、男がバーチャルに嵌った世界の成れの果て 〜 『セクサドール』 石森章太郎の世界

◆最近の女の子とプリキュア 〜 男の子が女の子にケリ入れられて入院

◆共同親権だの面会保証だのって、これらも家族解体推進法案ですよっ!

◆DVや虐待を流行らし、家族解体を目論む左翼勢力のワナ 〜 責任転嫁で本質問題を誤魔化さす左翼の極意

◆ド底辺!? 援交アバズレ年増女の増殖

◆アバズレ主婦増産のため、左翼マスコミからの贈り物

◆そして左翼マスコミは、働く女性と若いママ向けにはこんなものを用意

◆『 ないしょのつぼみ 』 小学生向け性教育漫画 〜 狂っている日本の児童向け出版社

◆特に男の子がいるなら絶対読むべし! 〜 フェミ女に巻き込まれた男は破滅

◆現代の魔女 --- 若い少女たちに危ない価値観を植え付けミスリード。アバズレ洗脳で女を狂わせ、日本の中枢に巣食って若い男まであさる、フェミの淫乱生ゴミ汚物女どもを叩き出せ!!

◆女は軽々しく男とつきあうな! 男はビッチ尻軽女に心を惑わされるな! 〜 ストーカー予防法と、ストーカー利権拡大図る左翼
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真実の日本の歴史 〜 蝦夷の服属 韓土の変遷(百済 高麗の滅亡・新羅の朝鮮半島統一)
戦前の日本史教科書準拠 参考書より

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これまで大化の改新や朝鮮半島をめぐる情勢など、ことこまかに記してましたが、ついに朝鮮半島における倭国の足掛かりとなってた百済も任那に続いて滅亡します。そして日本は国内の整備に向かい、北へ南へと皇威を拡張し、現在の日本列島の領土が形成されていきます。白村江の戦いで敗北を屈した日本は、唐・新羅の本土侵攻に備え、西国(九州)における防備を万全にすべく、強化していきました。

『最新 日本歴史解釈』(1917年・妻木 忠太 著)より


【目次はコチラ】

斎明天皇の御即位
孝徳天皇の崩御―皇太子 中大兄皇子 尚 即位を辞し給う―皇極天皇 再び御即位(即ち斉明天皇)―重祚(ちょうそ・一度位を退いた天子が再び位につくこと)の始―皇太子 中大兄皇子の朝政補佐。


北邊(辺)の征服
日本武尊(ヤマトタケルノミコト)の征伐後 東方蝦夷の服従―後 漸く其の勢を復してまた叛す―上毛野田道(カミツケヌノタミチ)の敗死―上毛野形名(カミツケヌノカタナ)の苦戦―越(コシ)の蝦夷 騒ぐ―渟足(ぬたり)・磐船(いわふね)の二柵を設く―越 及び信濃の民を柵戸とす―越國守 安倍比羅夫(アベノヒラフ)の征伐―渟代(ぬしろ)・津軽二郡を置く―渡島の蝦夷を服す―進んで粛慎(みしはせ)を伐つ―蝦夷地方(今の北海道の中部)皇威に服す―蝦夷 平定後の粛慎 再征。


韓土の形勢
歴代任那の回復に尽力―大化新政の頃は唐朝の初期―唐の勢 日に隆盛に赴く―新羅 任那を併せし後 國力 大に張る―高麗(高句麗のこと) 隋軍を邀(むか)え撃つ―高麗の勢 新羅と伯仲す―高麗・新羅 互に隙を生ず―高麗 百済に結びて新羅を攻む―新羅に武烈・文武の二王 出づ―新羅 唐に通じて援を乞う―唐主 高麗を討つ―唐軍 高麗に克つ能わず―百済の国政 大に紊(みだ)る―新羅 唐兵と共に百済を降す―百済の遺臣 鬼室福信(キシツフクシン) 援を我に求む。


百済 高麗の滅亡
斉明天皇 皇太子と共に新羅 御親征―天皇 筑紫に御進発―朝倉宮に崩御―皇太子 中大兄皇子 天皇の御志を継ぎて軍を統べ給う―阿曇比羅夫(アヅミノヒラフ)等の差遣―我に質たりし百済王子 豊璋(ホウショウ)を送る―百済國の再興―百済 鬼室福信を疑いて之を殺す―皇軍 百済を救いて唐兵と戦う―皇軍 利あらず(白村口の戦)―百済 内乱起る―百済王 高麗に走る―百済の滅亡―後5年 高麗の滅亡。


新羅の一統
唐 安東都護府(アントウトゴフ)を平壤に置く―新羅の文武王 唐兵と争う―新羅 平壤以南の地を略取す―唐 安東都護府を遼東に移す―新羅 朝鮮半島の一統。


朝鮮半島の離畔(離反)
中大兄皇子の御即位(天智天皇)―天皇 内外の形勢に考え既往の実績に徴し給う―朝鮮半島に関係の不利―百済の滅亡と共に朝鮮半島より我が軍を収む―大に内政につとめますます國防を厳にす―朝鮮半島の離反(神功皇后以来 茲(ここ)に四百数十年)。


新羅の待遇
新羅は朝鮮半島一統後も来朝す―我は対等以下を以てこれを礼遇す。


唐との修好
百済の滅亡後 唐使 来りて好(よしみ)を求む―我また使を送りて之に答う―彼 我の國交 舊(旧)に復す―唐の文物制度の輸入。


〇越の蝦夷征伐と安倍比羅夫
蝦夷は景行天皇の御代、日本武尊の征伐後 一且(いったん)平定せしが、年を経るに従いて、漸く其の勢を恢復(回復)せり。仁徳天皇の55年、上毛野田道(カミツケヌノタミチ)其の叛を征して敗死し、舒明(ジョメイ)天皇の9年、上毛野形名(カミツケヌノカタナ)将となりて之を討ちしが勝つを能わざりき。孝徳天皇は、大化3年 渟足(ぬたり・越後の沼垂町辺)に柵を造り、翌年また磐舟(越後の岩船町)に柵を造り越(越後越中越前地方)と信濃との民をうつして之を戍(まも)らしめ給う。尋(つい)で斉明天皇の御代に至り、安倍比羅夫 舟師百八十艘(そう)を率ゐ、日本海方面より蝦夷を伐ちて秋田・能代の蝦夷を降し、遠く渡島(北海道)の蝦夷をも招く、翌5年 比羅夫 再び舟師を率ゐ、津軽(陸奥 青森辺)地方を定めて北海道地方にまで及べり。比羅夫の始めて蝦夷を伐つに当り、進んで粛慎(アムル下流の沿岸に住せし種族)を討ちしが、6年 之を再征するに及び、陸奥・北海道の蝦夷 人を使役し、進んで樺太地方にて大に粛慎兵と戦いたり。
〇上毛野田道と上毛野形名
上毛野氏は、崇神(スジン)天皇の皇子 豊城入彦命(トヨキイリヒコノミコト)の後なり。田道は仁徳天皇の53年、新羅を伐ちて大に之を破り、其の四邑(ゆう)の民を虜にして還る。越えて55年 蝦夷の叛を伐ち遂に伊寺水門(いじみのみなと 陸奥 石巻辺か)に戦死す。又 形名は舒明天皇の9年、将軍となりて、蝦夷を討す。然るに形名 却って蝦夷に破られて、走りて壘(とりで)に入る。賊 之を圍(囲)み、形名 夜に乗じて逃走せんとす。形名の妻 之を漑(まか)きて曰く、難に臨みて逃るるは唯に恥を取るのみならず、祖先の功名をも廃するに至ると。即ち形名の酔いて寝ぬるを伺い、自ら其の劔(剣)を帯びて婢女等数人に弓弦(ゆみづる)を鳴らさしむ。形名 醒(さ)めて起ち、武器を取りて進む。賊 其の兵の多きを思い、囲を解きて去る。形名 遂に之を撃ちて破ることを得たり。
〇柵戸
柵は古に城と共にキと云うより、柵戸をキノヘとよぶ。後には土を築きて構えたるを城とし、木を建て貫を通じて構えたるを柵(さく)とす。柵戸は此の柵に在りて防御の任にあたれる戸を云い、大化3年之を置きしを始とす。
〇高麗 隋軍と戦う
隋の文帝(皇紀1258年)の時、高麗の嬰陽王(エイヨウオウ)遼西(盛京省西境)を侵せしかば、文帝 之を伐たしむ。されど糧食つがずして隋軍退き、高麗また之と和す。文帝の子 煬帝(皇紀1272年)また大兵を発して高麗を伐ちしが、隋軍 潰走(かいそう・戦いに負けた隊が四分五裂になって逃げること)して軍資器械 皆失う。煬帝 大に怒り、翌年再び兵を挙げて侵入せしが、遂に勝つ能わずして軍をかえせり。
〇武烈・文武の二王
武烈王(皇紀1314-1320)は新羅29代の王にして、其の子 文武王(皇紀1321-1340)と共に英明なりき。此の二王の時、唐と同盟して百済・高麗を滅ぼししが、間もなく文武王は百済の旧地を併せんとし、唐の勢力を朝鮮半島より除かんことに努めたり。唐 高宗(皇紀1320年)之を詰問せしも、文武王 之に応ぜずして遂に唐兵と戦い、半島の大部分を占領したり。
〇鬼室福信
新羅の唐兵を誘いて百済を攻むるに当り、鬼室福信(キシツフクシン)は國人を集めて王城を守り、斉明天皇の6年、使を我に遣わして救を請い、且つ曩(さき)に遣わせし王子 豊璋(ホウショウ)を迎えむことを乞う。かくて豊璋の國に還るや、福信 之を迎えて専ら國政に参与す。然るに豊璋 福信を疑い、天智天皇の2年、遂に之を殺しぬ。かく福信は百済末路の良将にして、常に回復に苦心せしが、王 之を殺して其の滅亡を速ならしめたり。
〇朝倉宮
宮址は、筑前朝倉軍宮野村大字須川なりと云う。斉明天皇 百済の請を許し、新羅を撃ちて百済を救わんとし給い、其の7年、親(みずか)ら筑紫に幸して此に行宮を立てさせ給う。当時 其の宮殿の材 削らざるを以て木丸殿と云う。
〇白村口(江)の戦い
白村江は、今の朝鮮 忠清南道の錦江なり。初め百済王 豊璋の鬼室福信を殺すや、新羅 之を知り、直に其の王城をつかんとす、偶(たまたま)日本軍の至るを聞き、其の兵士を白村江に屯せしむ。唐将 劉仁願等の率いたる戦船170艘も、また白村江に陣を列す、かくて我が兵 唐軍と大に此に戦いしが利ならずして退き、豊璋 遂に船に乗じて高麗に走り、百済 遂に滅亡せり。
〇安東都護府
唐は其の征服せる土地を守護する為に、四辺に都護府を設く。而して高麗 百済を滅すに及び、其の故地を管する為に平壌(平安南道)に安東都護府を設く。されど新羅 文武王の時、之を今の奉天府遼陽州の北に在りし遼東城に移したり。
〇唐との修好
天智天皇 百済を救わんが為に唐兵と干戈(かんか)を交え給いしが、其の3年 唐将 劉仁願(リュウジンガン)の郭務悰(カクムソウ)をして表を上り物を献ぜしむるや、之に饗賜(きょうし)し給い、翌年 唐 更に劉徳高(リュウトクコウ)を遣わし、其の帰るに及び使を派して之を送らしめ給う。尋で6年 劉仁願、また司馬法聰(シバホウソウ)をして、我が境部石積(サカイベノイワツミ)等を大宰府に送らしめ、8年 天皇 河内鯨(カワチノクジラ)等を使者として唐に派し給い、唐また郭務悰等二千餘人を我に遣わせり。かくして唐との修好成り、やがて遣唐使留学生・留学僧 相ついで彼地に赴き、唐の文物制度を輸入するに至れり。
〇三韓放棄の主因
神功皇后 三韓征伐の後は、三韓 我に朝貢し、其の文物を輸入して我 國運の進歩を助けたり。されど年を経るに隨(したが)いて、叛乱しばしば三韓に起り、我は之が鎮撫に疲るるの有様となりしが、支那に隋起り、やがて唐 之に代りて其の勢を三韓に及ぼすに至り、其の統御(とうぎょ・全体をまとめ支配すること)頗(すこぶ)る困難の形勢となりぬ。加之(しかのみならず)我には内治の急にすべきものありしかば、天智天皇は其の差遣の皇軍を召還し給い、一方には大に国防を修めて唐に備え、一方には等の請を許して其の交を修め給えり。
〇天智天皇の御事蹟
舒明天皇の御子にして初め葛城皇子と称し、一に中大兄皇子と申す。天皇 英明にして蘇我氏の専横を憤り中臣鎌足と図りて之を滅し給う(コチラ参照)。孝徳天皇 即位に及び皇太子となりて朝政を輔(たす)け、英断を以て大化改新(コチラ参照)を決行し給う。かくて斎明天皇の朝なほ皇太子となりて政を佐(たす)け給う。此の時 百済 急を告げて救を乞い、斉明天皇 九州に行幸し給うに及び、其の四征に従い給う。たまたま斎明天皇 行宮に崩じ給うや、天皇 素服(そふく・凶時に際して着用する喪服の一種)して制を称し、将を遣わして唐軍と戦わしめ給いしが、皇軍 利ならずして百済 遂に亡ぶ。天皇乃ち軍を還えしてますます西國の防備を修め、6年(皇紀1327年)都を近江の大津に遷し、翌年 即位の禮(礼)を行わせ給う。是より先、天皇令を定め冠位を制し給いしが後、朝禮を定め、戸籍を造り学校を興し給う。其の御治蹟 甚だ著しかりしかば、後世 中興の英主と称し奉る。天皇在位11年 御年46にて崩じ給う。


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本物の“大和撫子”入門 〜 貝原益軒『和俗童子訓』【女子を教ゆる法】より

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(2012.11.16)   (始めから)
武将ブームとされ、時代考証無視でイケメン武将が出てきたり武将が女にされたりワケのわからないメチャクチャなドラマやアニメばかり持ち上げられてますが、じゃあ、女としてどうあるべきなのかが、全く教えられていません。いくら歴史・武将ブームに熱中しても、これでは日本の女がパッパラパー化するだけです。
武将研究より先に、往年の日本女性 大和撫子がどういう教育をされていたか、まずはそっちから入っていかないと、先人に笑われちゃいますよ。
特に「明治維新は薩長による陰謀、革命だー!」、「江戸時代こそ日本の理想郷」とされてるような方々は尚更、江戸期の教育・精神基盤とされた貝原益軒の教えとかの勉強を、ぜひされてみてください。
とにかく貝原益軒(1630-1714)の著作(特に『和俗童子訓』)や、女子教育書『女大学』は必読ですよ。

日本初の体型的な教育書 貝原益軒『和俗童子訓』(詳しくは右写真クリック)に収録されてる【女子を教ゆる法】は、江戸期の女子教育規範の原典であり、これを元に何度か改訂が加えられ、その後は『女大学』と称されて江戸時代に広く普及、もちろん明治から戦前までの女子教育にも大きな影響を与えてます。

『和俗童子訓』にある【女子を教ゆる法】は、日本女性 ヤマトナデシコとしての心得の基本中の基本、いわば日本人にとっての子女教育における聖書といえるでしょう。
『女大学集』(詳しくは右写真クリック)を全部読まなくとも、その原典となったこの『和俗童子訓』だけでも、ぜひ読んでみてください。平易な文体だし、【女子を教ゆる法】の部分は文庫本でわずか十数ページなので、1時間もあれば十分読み通せます。周りの方にもどんどん薦めてください。ここのことも、より多くの人に拡散してください。
少なくとも私たちの世代なら、今は亡き私らのお婆ちゃん達がいったいどういう教育を受けていたか、スゥーッと頭に入ってきて、あの時代の女性たちと心がつながること、きっと出来ますから。
『和俗童子訓』を一家に一冊、置いておきましょう。それから、ゆっくりでもいいので『女大学』の方へ進んでほしいものです(ただし福澤諭吉の『女大学評論』『新女大学』は完全にフェミイデオロギーなので無用)。

新しい子育て本なんか読む前に、日本人ならまずはこの『和俗童子訓』を読んでみてください。読めばきっと左翼イデオロギーまみれで眠かった目も、パッチリ開眼することでしょう。
今日はその内容をいつくか抜粋させていただきます。
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貝原益軒 『和俗童子訓』 【女子を教ゆる法】 より

【女児はひとえに、親の教え一つで育つものである】
父母の教え、怠るべからず。親の教えなくて、育てぬる娘は、礼儀を知らず。女の道にうとく、女徳をつつしまず、かつ女功の学びなし。是れ皆、父母の子を愛する道を知らざればなり。

【幼児より女徳を養い育てよ】
およそ女は、かたちより、心のまされるこそ、めでたかるべけれ。女徳を選ばず、かたち(容貌)を本としてかしづくは、いにしえ今の世の、悪しき習わしなり。

女の徳は和・順の二を守るべし。和らぐとは、心を本として、かたち・言葉もにこやかに、うららかなるを云う。順(したがう)とは人にしたがひて、そむかざるを云ふ。

【婦人は敬順の道を貴ぶ】
「敬順の道は婦人の大礼なり」と云へり。然れば女は、敬順の二つを常に守るべし。敬とはつつしむ也。順はしたがふ也。
およそ女の道は順を貴ぶ、順のおこなはるるは、ひとへにつつしむより起これり。

【男は外を治め、女は内を治める】
いにしへ、天子より以下、男は外を治め、女は内を治む。王后以下、皆内政を務め行ひて、婦人の職分あり。今の世の習ひ、富貴の家の婦女は、内を治むる務めうとく、織り・縫ひのわざにおろそかなり。いにしへ、わが日の本にては、かけまくもかしこき天照大神も、みづから神衣を織りたまひ、斉服殿にましましける。その御妹、わかひるめのみことも亦しかり。これ日本紀に記せり。

【女性の四行】
女に四行あり。一に婦徳、二に婦言、三に婦容、四に婦功。此の四は女の務め行ふべきわざ也。
婦徳とは、心だてよきを云ふ。心正しく、いさぎよく、和順なるを徳とす。婦言とは、言葉のよきを云ふ。偽れる事をいわず。言葉を選びていひ、にげ(似気)なき悪言をいたさず。いふべき時、いひて、ふ用なる事をいはず。人其いふ事を嫌はざる也。
婦容とは、かたちのよきを云ふ。あながちに、飾りを専らにせざれども、女は、かたち(容)なよよかにて、おおし(雄々)からず、装いのあてはかに、身持ちきれいに、いさぎよく、衣服もあかづき汚れなき、是れ婦容なり。
婦功とは、女の務むべきわざ也。縫ひ物をし、紡み・績ぎをし、衣服を整えて、専ら務むべきわざを事とし、戯れあそび、笑ふことを好まず。食物、飲物をいさぎよくして、しうと、夫、賓客にすすむる。是れ皆、婦功なり。

【女児七歳にして文字を習う】
七歳より和字を習はしめ、又、おとこもじ(漢字)をも習はしむべし。淫思なき古歌を多く詠ましめて、風雅の道を知らしむべし。
是れまた男子のごとく、はじめは、数目ある句、みじかき事ども、あまた読み覚えさせて後、孝経の首章、論語の学而編(がくじ)、曹大家が女戒などを読ましめ、孝・順・貞・潔の道を教ゆべし。
十歳より外にいださず、けい門の内にのみ居て、織り縫ひ、紡み績ぐ、わざを習はしむべし。仮にも、淫いつなる事を聞かせ知らしむべからず。小歌、浄瑠璃、三線の類、淫声を好めば、心を損なふ。
此の頃の婦人は、淫声を、好んで女子に教ゆ。是れ甚だ風俗・心術を損なふ。いとけなき時(早い時)、悪しきことを見聞き、習ひては、早くうつりやすし。女子に見せしむる草紙も、選ぶべし。いにしへの事、記せるふみ(文)の類は害なし。聖賢の正しき道を教えずして、ざれ(戯)ばみたる小唄、浄瑠璃本など見せしむる事なかれ。また、伊勢物語、源氏物語など、其の言葉は風雅なれど、かやうの淫俗の事を記せるふみを、早く見せしむべからず。又、女子も、物を正しく書き、算数を習ふべし。物かき。算を知らざれば、家の事を記し、財をはかる事あたはず。必ずこれを教ゆべし。

【婦人三従の道】
婦人には、三従の道あり。凡そ婦人は、柔和にして、人に従ふを道とす。わが心にまかせて行ふべからず。
父の家にありては父に従ひ、夫の家にゆきては夫に従ひ、夫死しては子に従ふを三従といふ。身を終はるまで、わがままに事を行ふべからず。必ず人に従ひてなすべし。

【婦人七去の法】
婦人に七去とて、悪しき事七あり。女子に教え聞かすべし。一には父母に従はざるは去る。二に子なければ去る。三に淫なれば去る。四に妬めば去る。五に悪しき病あれば去る。六に多言なればさる。七に盗みすればさる。此の七の内、子なきは生まれ付きなり。悪しき病はやまひなり。此の二は天命にて、力に及ばざる事なれば、婦のとがにあらず。

古き文にも、「婦に長舌あるは、是れ乱の階なり。」といへり。女の口の利きたるは、国家の乱るる基となる、といふ意なり。

女の、男子の如く物いふ事を用うるは、家の乱れとなる。凡そ家の乱れは、多くは婦人より起こる。婦人の禍は、必ず口より出づ。戒むべし。

もし夫不徳にして、家、貧賎なりとも、夫の幸なきは、婦の幸なきなれば、天命の定まれるにこそと思ひて、憂ふべからず。

【女児を幼児から、厳しく教えよ】
凡そ女子を愛し過して、ほしひままに育てぬれば、夫の家にゆきて、必ず驕りおこたりて、他人の気に合はず、つゐには、しうとにうとまれ、夫にすさめられ、夫婦不和になり、追ひ出され、恥を晒すもの多し。

【早くから女功を教えこめ】
女子には、早く女功を教ゆべし。女功とは、織り縫ひ、紡み績むぎ、すすぎ洗ひ、又は食を整ふるわざを云ふ。

【男女の別をはっきり立て、貞節を守れ】
父母となる者、女子のいとけなきより(早いうちより)、男女の別を正しくし、行儀を、かたく戒め教ゆべし。
女は心ひとつを貞しく、潔くして、いかなる変に会ひて、たとひ命を失ふとも、節義をかたく守るこそ、此生後の世までのめいぼく(面目)ならめ。

【嫁する女に、父母の教うべき十三か条】

後の『女大学』で十九か条に改訂されたものの方がわかりやすいでしょう。詳しくはこちらご参照を。
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上記内容を現代だと、どう捉えるか、各自考えてみましょう。さほど難しくないと思います。わかる人ならわかるだろうけど、現代にもピッタリ当てはまるでしょう? もちろん、マスゴミの垂れ流してるものには注意。
十歳になったら外に出るなと言うのは、そのままでは現代では難しいでしょうが、だからと言ってこれでは現代に合わないなんてなるのでなく、たとえ十歳過ぎた女が外に時折出ていても、上記教えの大事なところ、守るべきところを守っていれば、現代でもきっと立派なヤマトナデシコになれるものと思います。

また、「(子孫相続のためにも)子なきは去れ」とありますが、心が和らかで行い正しい女なら、その必要はないと、ちゃんと補足されてます。
現代のフェミ女だと、なんで女だけ従ってばかりなんだとバカ言いそうだけど、これに対して男に求められてたものが主君や目上の者への忠義です。そしてこっち男の方には、命を懸けることまで求められていたわけ。それが当時の日本の秩序。女が好き勝手やってたら、男だって上から下まで好き勝手やりだすのは当たり前。
戦前までの日本は、この武士道的精神がまだ生きていたから、あれだけ強国だったのです。
(続く)

『ポップ・ミューヂック』(ポップ・ミュージック)(1979)
Pop Music ( or "Pop Muzik") - M
(詳しくは右画像クリック)
Mは英国のミュージシャン。全米1位、テクノ系で初の世界的大ヒットとなった曲。今日の超硬派な記事を読んでカチカチに力むことなく、こんな曲でも聴いてリラックス、和んでください ^▽^)

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(2013.8.19)
うちの場合、双方の実家に帰るのは西へ東へ大変なもので、子供一人であっても相当張ってきます。それに比べて同郷の結婚というのは、さぞや楽なことでしょうね。

私の実家の福岡は古代史的にも大変貴重な場所柄ですが、その福岡で生まれ育ち、黒田藩に仕えていた貝原益軒のお墓参りにも行ってきました。益軒先生の墓所は福岡市の金龍寺というところにあります。
今回、訪ねて初めて知ったのが、何と益軒先生自身には子供がなかったということ、そして墓所では、益軒先生とその東軒夫人が仲よく並んで眠っているんですね。益軒先生は五男だったので、本家末裔の方がずっと家を継がれてるそうです。
益軒先生は初婚で39歳の時に17歳の夫人と結婚され、夫人は以後、東軒と名乗ります。益軒先生は86歳という当時にしては大変な長命だったわけですが、夫人が62歳で亡くなった折ガックリきたのか、一年と経たぬうちに自身も亡くなられてます。

儒学のような思想的学問のみならず、生物学から農学まで、貝原益軒は日本のアリストテレスともいわれた日本史上最高の大学者であり、旅好きもあって日本各地を大変精力的に周られ、生涯に亘って博物的研究にいそしんでいたわけですが、その旅には奥様が同行されることが非常に多かったということです。1年以上を共に旅されてたこともあり、夫婦揃ってそれだけ活動されてたような方というのは、それまでの日本にいなかったのではないでしょうか。益軒先生自身は字が上手ではなかったのに対して、東軒夫人は大変な達筆だったそうで、夫人が益軒先生の著述をまとめたり、実際に手助けされることもあったようです。

「子無きは去れ」と、一見、女に厳しく説いてる風でいながら、夫人の良き人柄あってでしょうが、子供のない自分の奥様には大変お優しい方だったんだということで、益軒先生がそれだけ奥様を慈しみ愛され、これだけ行動を共にされていたなんて、なんて素敵な夫婦だったのだろうと感激いたしました。

日本の教育学の始祖とされ、戦前の教育では絶大な影響力を持っていた貝原益軒。左翼教育の普及で、現代日本では完全に無視されていますが、今回私が墓所を訪れ、ここで私がこんなことを書いて紹介するのも、きっと益軒先生の一念が私に伝わってのことだと信じてます。
来年2014年は、この貝原益軒先生の没後300年となります。

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(続き)◆本物の“大和撫子”入門 〜 我の否定、徹底した自己犠牲精神 新渡戸稲造『武士道』より

(始めから)◆本物の“大和撫子” 入門  〜 『女大学』より

◆武士の子女教育カリキュラム 〜 貝原益軒『和俗童子訓』より

◆仁・義・礼・智・忠・孝……五倫、四徳、五条、四端の心から道を修むる 〜 侍が学んだものを学び、偉大な先人たちと志を一にす

◆家庭内における戦前の教育再現 〜 わが家で使ってる子供用教本

◆子育て、死生観が変わる。読んでおきたい日本の古典 〜 『土佐日記』と、一茶の俳句

◆敗者の名誉を重んじた日本人 〜 日本で切腹が存在した意味

◆女は軽々しく男とつきあうな! 男はビッチ尻軽女に心を惑わされるな! 〜 ストーカー予防法と、ストーカー利権拡大図る左翼

◆要するにアリの世界 〜 男女共同参画だの左翼の社会ってのは

◆『マジンガーZ』に見る正常な男女観 〜 やっぱりガンダムよりマジンガーZ

◆イザナギとイザナミに見る、日本における男女のあり方 〜 日本神話を題材に

◆フェミ二ズム批判するなら、女が見に来て女に「そうか!」と思わせるような内容にしなきゃダメ!

◆フェミ系右翼の台頭 〜 フェミ系右翼と排外主義は相性がいい

◆フェミニズム家庭崩壊=左翼 朝日新聞=朝鮮 〜 腐った反日新聞の朝日
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真実の日本の歴史 〜 大化の新政
戦前の日本史教科書準拠 参考書より

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近代国家の礎ともなった輝かしい大化の新政なのですが、古代 氏族制度における権力争いの総括的な流れ、その行き付いた先ともいえましょう。そして肝心なのが、大化の新政(改新)こそ本来あるべき天皇親政を奪回したものであったということ。現代の教育ではここが教えられておらず、ただ単に皇室をめぐる権力争いにすぎなかったかのようにされてますが、本質は天皇親政の奪回、ここなのです。そしてそれは、鎌倉幕府に始まる武家政治によって崩され、しばらく天皇親政の体制はないがしろにされ、明治維新によって取り返したのです。私が何度も言ってる天皇親政こそ日本の正当な政治制度である、その意味がここに来てようやくわかっていただけるのではないでしょうか。戦前の歴史教育における重要な点はそこであり、そして戦後また天皇親政が打ち倒されてしまったということ。だから敗戦後に押し付けられた民主主義制度による現政権なんてものは、利にくらんだ幕府・武家政治と変わらぬ邪な賊軍政治にすぎないのです。
それと「“天皇制(政)”なんてなかった。戦前に打倒 “天皇政”を掲げて共産主義者が作った言葉だ」なんて言って、天皇政という言葉を消し去ろうとしてる者がよくいますよね。あれって日本の歴史がよくわからなくなってしまった現代の日本人に対するデマ、戦前はこの通り天皇親政、つまり天皇政だったんですよ。陛下が政治の中心だったのですから。それが敗戦によって廃されたわけで、もう既に天皇政は打倒されたのです。だから彼らは今さら天皇政という言葉が使われるのを嫌がり、天皇政なんて元からなかったんだってことにしたいわけ。それゆえ「天皇政なんてなかった」と拘る連中こそエセ保守であり、とにかく彼らは天皇政が日本に存在しなかったことにしたい連中ですからね。「天皇政の言葉を使うなって、なんかおかしなことにこだわってる人たちだな」って奇妙に感じられてた方も多いのではないかと思いますが、こういうことなので惑わされちゃダメですよ。もちろんそういう人々は戦後民主主義狂信の左翼であり、他に言ってること見てれば何か変に感じてくるでしょうから、すぐわかりますよ。疑問が一つ解けたでしょう? だから日本の歴史を顧みて真の保守であるなら「天皇政を守れ!天皇政復活!」こそ正しいスローガンなのです。

そして大化の改新といえば今も戸籍や班田収授があげられますが、平安時代中期までは継続されていた奴婢の存在等の記録も生々しく、皆様、興味深い内容かも。何度も禁止された奴婢制度や人身売買、平安中期以降は表向きなくなってるはずですが密かに利用されてるとこもあったようです。また兵庫県の由来は、天智天皇が其の地を兵器の倉庫(兵庫)としていたことに始まることも今日の内容から知れます。

『最新 日本歴史解釈』(1917年・妻木 忠太 著)より


【目次はコチラ】

國勢の推移
古来の官職―家々 之を世襲す―大臣(オホオミ)・大連(オホムラジ)・國造(クニノミヤツコ)・縣主(アガタヌシ)等 土地・人民の私有―中央 及び地方の豪族の威権―弊害 甚だ多くして皇威 軽し―大臣・大連(政権を擅(ほしいまま)にせしもの)の滅亡―學問(学問)及び佛教(仏教)・技術の伝来(韓土より)―支那の文物 直に輸入す―留学生の帰朝―國勢の推移―政治改革の必要。


新政の端緒
推古(スイコ)天皇 孝徳(コウトク)天皇に御譲位―難波に遷都―皇太子 中大兄皇子の輔佐(補佐)―蘇我氏 滅亡の後 天皇の御親政―都鄙(とひ・都と田舎)共に政治上の弊害多し―皇太子 鎌足に謀りて政治の改革―皇太子の御英断―支那の制度に倣い我が舊習(きゅうしゅう・旧習)を参酌(さんしゃく・他と比べ合わせて参考にする)す―中臣鎌足 内大臣に任ず―安倍内麿(アベノウチマロ)左大臣に任ず―蘇我石川麿 右大臣に任ず―天皇 御即位の年を大化元年とす(年号の始)留学生 高向玄理(タカムコノゲンリ)・僧 旻(ミン)の國(国)博士―東國の國司に田畝(でんぽ・たはた)を校し(校する=比べて考える意。校合(きょうごう)する)戸籍を造らしむ―朝廷に鐘匱(しょうき=かねひつ・その首長を介して民の訴状を匱に投書させ、訴えが取り上げられない時は訴人に鐘を打たせるためのもの)を設けて訴に便ならしむ―奴婢の法を定むー使を諸国に遣わして兵器を収めしむ―土地の私賣(買)を禁ず。


新政の詔 下る
豪族 恣(ほしいまま)に土地人民を私有す―勢力者の兼併(けんぺい・他の所有地や国を併合すること)―皇威の不振―宿弊(年来の悪習)の矯正―新政の詔 下る(大化2年)。


新政の大要
私有の土地・人民を朝廷に収む―食封(じきふ)又は布帛(ふはく)を賜わる―京都及び國郡の制を定む―畿内を區畫(区画)し地方を國・郡・里に分つ―戸籍を作り口分田(くぶんでん)の制を定む(班田収授法)―旧来の貢・徭役(ようえき)をやめ租・庸・調の税法を定む―國司・郡司を置く―旧國造 中のものを郡司に選抜す―國司は京都より交代赴任(ふにん)す―要地に関塞(せきそこ・関所)を設(もう)く―九州に防人(さきもり)を置く―驛馬(えきば・駅馬)・傳馬(でんま・伝馬)の制を立つ。


中央集権の基礎固定
八省・百官の設置―新に官位・礼法を定む―才能によりて官職を授く―人才 登庸(用)の道開く―中央集権の基礎固定す―種々の制度また備わる。


〇上古 官職の世襲
我が國の上古は家々一定の職業ありて、代々 之を相つぐの俗あり。即ち大伴部・物部は兵士となり、中臣部・斎部は祭祀に従い、玉作部は玉を作り、土師部は土器を製するなど、皆 定まれる職ありて之を世襲し、而(しか)も各部民には之をすぶるものありて、また之を家職として世襲す。其の大伴氏・物部氏の如きは兵士を卒ゐて(兵士を集めて)宮中を警衛し、中臣氏・斎部氏の如きは祭祀を主(つかさ)どりて、以て各朝廷に仕え奉り、又 大伴・物部両氏の連の家に出でて大政に参与せるものを大連と云い、蘇我氏等の臣の家に出でて大政に参与せるものを大臣と云う。是等の官職は國造(コチラ参照)などと共に子孫 皆 之を世襲したり。
〇大臣・大連等の擅権(せんけん・専権)と其の衰亡
大臣・大連・国造・縣主等 皆 其の官職を世襲し、年をふるに伴いて多くの土地・人民を私有し、従いて威権を恣にし専横なること甚だしくなりぬ。中にも大連の職に在りし家柄にて、大伴氏は欽明天皇の御代に金村の隠退(いんたい)せしより顯(あら)われず、物部氏は用明天皇の御代に至り守屋 蘇我氏の為に亡ぼされぬ。是より大連の職 久しくたゆ。而して大臣の職に在りし家柄は、武内宿禰(タケノウチノスクネ)の後に葛城(かつらぎ)・平群(へぐり)・巨勢(こせ)・蘇我の諸氏ありしが、葛城氏は圓(つぶら・円)安康(アンコウ)天皇の崩後に誅せられ、其の一代にしてまた出でず。平群氏も眞鳥(まとり)仁賢(ニンケン)天皇の崩後に殺され、其の一代にして亡び、巨勢氏も継体天皇の御代に男人(ヲヒト)出でし後また顯(あら)われず。尋(つい)で蘇我稲目の大臣となるや政権を擅(ほしいまま)にし、其の子 蝦夷 其の孫 入鹿 大臣の職に在りて無道なること甚だしかりしが、蝦夷・入鹿の父子 遂に誅に伏して大化の改新 行われ、ここに大臣・大連の職すたれて其の擅権(専権・思うままに権力をふりまわすこと)の如き弊害 全くやむに至れり。
〇年号(年號)の始
支那にて年號を定めしは、漢の考武帝の世(皇紀521年)に建元(ケンゲン)の號を立てしを始とす。我が國にして、大化の改新以前に僧侶の間には、私に年號をとなへ居りしことありて。之を世に私年號(しねんごう)という。されど支那の例にならいて、朝廷より公に年號を定め給いしは、實(実)に大化を以て始なりとす。是より後は、天皇の御即位 其の他 吉凶の大事等によりて、常に改元ありしが、明治の昭代に及び一世一元(一せい一げん)と定められたり。
〇校田(こうでん)と造戸籍
是より先き、権力ある者は恣に土地・人民を私有して、田地の制もすたれ、戸籍の法もみだれたりき。大化元年八月、天皇 東國等の國司(こくし)を召し、詔して各其の管内の田地を校(しらぶ)し戸籍を造らしめ給い、又 大和の國の六縣に使を遣わし、戸籍を造り田地を検せしめ給えり。是れ等はやがて大化改新の政治の行わせらるる先軀(駆・さきがけ)とも云うべきなり。
〇鐘匱(しょうき=かねひつ)の設置
大化元年八月、朝廷に鐘(かね)匱(はこ)とを設け、詔し給いて曰く、若し憂え訴うる人あらば、各尊長などに考えて之を奏すべく、尊長などもなくして、訴うる所を審にせざるものに、牒(かきつけ)を匱に納るれば、各其の罪を以て罰せん、其の牒を収むるものは、朝夕に牒を取りて内裏に奏すべし、或は官吏 怠りて理ならず、或は阿黨(あとう・阿党・権力のある者におもねり組すること)して訴を曲ぐることあらば以て鐘をつくべしと。のたまい給う。
〇奴婢の法
大化元年八月、奴婢の法を定め給う。即ち良男良女の生む所の子は其の父につけ、良男の婢によりて生む所の子は其の婢につけ、良女奴によりて生む所の子は其の奴につけ、奴婢の生む所の子は其の婢につけ、寺家の子は良人の法にしたがい、若し別に奴婢に入れば、奴婢法にしたがうべしと定めさせらる。
〇兵器を収む
大化元年八月、閑曠(かんこう・あき地)の所に兵庫(つわものぐら)を作りて國郡に在る刀・甲・弓・矢を収め、近く蝦夷と境を接する邊國(辺国)には、盡(ことごと)く其の武器を集め、なほ本の主にあづけしめ給い、翌九月 使を諸国に遣わして種々の兵器を集めしめ給う。
〇土地 私賣(売)の禁
孝徳天皇即位の頃は、天下の百姓なほ乏しくして、勢力あるものは土地を分割して私有とし、百姓に売与して年々其の儥を求む。是に於て大化元年九月、詔して土地を賣るを禁じ、妄(みだ)りに主となりて劣弱のものを兼併(他の所有地や国を併合する)することなからしめ給う。
〇大化改新の詔
大化2年正月賀正(年始)の禮 崋るや、改新の詔を下し給う。其の一曰く、昔 天皇等の立てし所の子代の民(名を後世に伝うる為に設けし民)處々(ところどころ)の屯倉(みやけ・コチラ参照)及び別に臣・連・國造等の有せる民と處々の土地とを罷(や)めよ。其の二曰く、初めて京師(けいし・みやこ)を修め、畿内に國司・郡司・関塞(せきそこ)片候・防人(さきもり)驛馬(えきば)・傳馬(てんま)を置き、鈴契(すずしるし)を造り山河を定めよ。凡そ京には坊(まち)毎に長を置き、四坊に令一人を置き、戸口を検し好非を察することを掌らしむ。其の三に曰く、初めて戸籍計帳(数を記す帳 班田収授之法を造る。凡そ五十戸を里とし毎里に長を置き、戸口を検し農業を課し悲違(法に背くこと)を禁じ賦役をを催さしむ。其の四に曰く、舊(旧)い賦役の法をやめて祖・庸・調の法を行う。
〇食封・布帛(織物・きれじ)の下賜
食封(じきふ)は勲功・位階・職分あるものに賜わる課戸(かこ・戸中に調庸を諭す男、即ち其の課に一人以上ある戸を云う)を云う。大化改新の時、一般に私有の土地・人民を収めて公地・公民とし給いしを以て、大夫(後の五位以上のもの)以上には各差を以て食封を賜い、其の他の百官人民には各差を以て布帛(ふはく)を賜う。後世 食封には、位封・職封・功封の別定まり、位封(一品 八百戸より四品 三百戸に至る正一位 三百戸より従三位百戸に至る)は位階あるものに、職封(太政大臣三千戸より大納言八百戸に至る)は官職あるものに、功封(五位功を以てす大功は三世に伝え上功二世に伝え中功子に伝え下功一代限)に勲功あるものに各賜りたり。
〇畿内の区画
東は名墾の横川(伊賀の名墾川(西川)(か)より、南は紀伊の兄山(せのやま 紀州附近か)より、西は播磨の赤石の櫛淵(今の明石郡)より、北は近江の狭々波の合坂山(今の滋賀群)までとす。此の時未だ国を定めず、唯 京都に近き四方の地を以て畿内を確定せしなり。
〇郡里の制
凡そ50戸を一里とし、其の40里を大群とし、30里以下4里以上を中群とし、3里を小郡とす、大寶(宝)以後には大上中下小の五等に分ち、20里以下16里を大郡とし、12里以上を上郡とし、8里以上を中群とし、4里を下郡とし、2里以上を小郡とす。
〇班田収授の法
此の時 班田収授の法を設け、天下の人民に男女ともに一定の田地を班(わか)ち授け、其の人 死すれば之を収めたり。之を区分田(くぶんでん)という。大寶(宝)令によれば、男子 生れて6歳に至れば、田二段を班ち授け、女には其の三分の一を減じて給す。
〇租・庸・調
租は田地の収穫の一部を納めしめ、調は織物等の産物を納めしめ、庸は力役の代りに布米を納めしむるを云う。即ち租は凡そ段毎に稲二束二把を納め、調は凡そ田一町毎に、絹一丈 䊶二丈、戸別に布 一丈二尺を納め、調の副物として鹽(塩)等土地の産物を納め、庸は凡そ戸別に租一丈二尺 米五斗を納むる定めとす。後しばしば改正ありて、大宝令の制には、租は田一段毎に稲二束二把、調は正丁一人歳役十日の代りに、布二丈六尺の割合にて、納むるを定めとす。而して稲一束は舂五升を得(舂とは穀物などを臼に入れてつくこと)、当時の一升は現今の枡にて四合餘に当る。
〇國司・郡司
國司は朝廷より諸國に置ける地方官の称にして、各國衛(役所)に在り、勅を奉じて其の管内の政務を行うものを云う。上古には國宰とも書して、之をクニノミコトモチとよび、早く神功皇后摂政の時に、新羅の宰を置き給い、仁徳天皇の時に遠江の國司、雄略天皇の時に任那の國司を置き給いしも、未だ一般に設けられしにあらず。大化元年 新に始めて東國に國司を置かれ、翌2年 畿内に之を置かれしより諸国一般に國司あるに至る。かくて大宝令によりて大に備わり、國衛に在りて政務を主(つかさど)れるものは、守(かみ)介(すけ)掾(じょう)目(さくわん)の四部官の総称となり、年限も6年に定めらる。後 國司の年限は4年となり、また6年にふくし更に弘仁(こうにん)6年に4年となり天長元年介以上6年となりしが、承和(じょうわ)2年以後は4年となる。郡司は國司の下に属したる郡家(郡役所を云いまた郡院とも云う)に在りて各郡内の政務を行うものを云う。孝徳天皇の大化2年 之を置き、國造の清廉にして時務(その時々の急務)に堪うるものを其の長官とし、聰敏(そうびん・賢く物わかりが早いこと)にして書算に巧みなるものを其の下役に任ず。大宝令にて郡司も大領(かみ)小領(すけ)主政(じょう)主帳(さくわん)の四部官を定められ、其の下に郡の大小によりて書生・案主(あんず)を置かる。而して郡司は世襲たり。
〇關塞
關(関)は塞(せ)く意なり。国境及び要害の地に設けたる門にして之に吏を置きて往来の人をせきて糺(ただ)すを云う。天武天皇の御代に鈴鹿關・龍田山・大坂山の關など見えたり。
〇驛馬・傳馬
驛馬(えきば)は紅葉にて官吏の諸国に赴く為に、各駅に備え置く馬を云う。之をハユマと云えるは、ハヤウマの約にて早馬の義なり。傳馬(てんま)もまた官吏の乗用に供する為に備えたる馬なり。驛馬と傳馬とは、同じく管理の公用の為に乗るものなれども、事急なれば驛馬に乗り、事緩なれば傳馬に乗るを定とす。故に傳馬をまた早馬といえれど、驛馬とは其の間に軽重の差ありしなり。驛馬・傳馬を使用する時は、官吏 其の賜わりたる鈴を鳴らして徴発のしるしとす。之を驛鈴と云う。
〇防人
サキモリと云うは、埼守の義にて邊(辺)要の地を守れる兵士を云う。早くより邊要を守れるものを置かれしが、未だ防人と称せず。大化2年に至り、始めて防人を定め置かる。大宝令に防人司を置きて之をすべしめ、諸国軍団の兵士を遣わして、三年間邊要(九州及び東國)の地を守らしめらる。其の後 廃地ありしが、対馬の如きは此の防人を弘安年間まで置かれたり。
〇大化の改新
既に前に掲げたる大化改新の詔 以下の各項の要領を云うなり。
〇大化の改新に重要なる人物
中大兄皇子の外に中臣鎌足・蘇我石川麿・僧 旻(ミン)・高向玄理等は改新に輿(よ)って大に力ありし人人なりとす。
〇本邦政治の三大変革
大化の改新と鎌倉幕府の創立と明治維新との三を以て政治上の三大変(變)革となす。大化改新は上古の氏族制度や部民(コチラ参照)制度を廃し、唐風に倣(なら)いて中央集権の制を採用し、上は官制より下は社会上の組織に至るまで広き範囲に亙れる改革なり。又 鎌倉幕府の創立は、久しき間 実力を養い来りし武門の朝臣に代りて天下の政権を掌握し、此に簡易なる武家政治の始をなしたるものにして、未曽有の変革なり。又 明治維新は、源頼朝の武家政治を始めしより、七百年間 天下の政権を掌握したりし幕府倒れて、武家封建の制度壊れ、政権 再び朝廷に還りて古の王政に復し諸藩の改革 行われ、泰西(西洋)の文物輸入せられて、全く従来の面目を一新したる変革なりとす。
〇大化改新と明治維新と相似の點(点)の比較
大化改新と明治維新とは、我が國 政治上の大変革にして、其の旨 赴の同一なるのみならず、其の施設もまた相似の点 少しとせず。
(1)蘇我氏の専横と徳川幕府の政権を掌握せることと何れも久しく、其の討滅と政権訪韓とによりて、並びに旧来の積弊(長い間に積もり重なった弊害)を一洗して改新の気運を啓(ひら)くに至る。
(2)中央集権の断行に当り、大化改新には有力者の私有せる土地・人民を公収し、明治維新にありては、各藩主の領有せる封土を朝廷に納れしむ。
(3)諸般の制度を改むるに及び、大化の改新には、従来の國造・縣主等を廃して國司・郡司を置き、畿内を区画し、郡・里の制を定め、租・庸・調の法を設け、驛馬・傳馬を置く、明治維新には、先づ徳川氏 直轄の地に府・藩・懸を置き、諸藩の封土を奉還するに及び、一般に知事・郡長を配布し、東京を奠(さだ)め、鉄道・港湾を設けて交通を便利となす。
(4)大化改新には、才幹あるものは國造と雖(いえど)も之を郡司に任用し、廣(広)く人材を選抜せしが、明治維新の施政方針の第一條に、広く会議を興し萬機を公論に決すべしと宣し給いて、広く天下の人才を集め給い、而も大化改新には、制度の隋唐の文物・典章に斟酌(しんしゃく・あれこれ照らし合わせて取捨すること)すること多くして、後、大宝令の制定となり、明治維新には、泰西の法礼、規則を参考すること少なからずして、やがて憲法の発布をも見るに至る。
〇大化新政の要領
本章に記せる大化改新の詔の大略より、以下 防人設置に至るまでの各事項は、即ち大化改新の要領なりとす。。


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気づいたのですが、最近、“朝鮮人”がNGワードにされて入れられなくなってるようです。北朝鮮人だっているのに書けません。
言葉狩り、言論弾圧だよね。朝鮮人は厳然と存在していて他に表現方法もないわけで、あっち側が抗議してるなら、別に差別用語でないのに逆差別だって、こっち側も抗議した方がいいです。
あと、“バカ”も入れられません。
尚、戦中は白人を皆、“毛唐”と日本では呼んでました。ただしドイツ人に対してはそう呼びません。あとイタリア人についてはイタ公と呼んでたらしい。アメリカ人についてはアメ公と今もよく言いますね。私は前にアメリカ人とケンカした時、“ジャップ”と呼ばれたことがあります。間違っても「世界は皆、友達」なんて脳内 お花畑でいてはいけません。だからと言って全員を敵と見なすようでも困るので、バランス感覚は必要です。
どの国にもいい人も悪い人もいます。海外旅行の一つでも行ってればいいのですが、最近の若い世代は不景気のせいで海外旅行に行ったことない人が非常に増えてるので注意が必要です。行かれたことない方は、ぜひ一度でも行かれることをおすすめします。

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