日本の面影

Glimpses of Japan
失われる日本人の精神性に、将来を憂う  リンクフリー

慶応大 広告学研究会 女子大生集団レイプ輪姦 凌辱撮影ビデオ バラ撒き事件の顛末 〜 続・エセ保守がマンセーの福沢諭吉

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(始めから)
昨年の事件発覚から長い間、逮捕もされず、結局不起訴となった慶應義塾大学 公式サークル広告学研究会による集団レイプ事件。ネットでは主犯が在日だから不起訴にされたなんて風に問題スリ替えられてるけど。  下はこの事件の初期報道。

その後、事件の詳細が明かされてくる。以下はその詳細。
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慶大生集団レイプ事件 流出した鬼畜ハメ撮り映像一部始終 2016.11.1 週刊実話
慶応大学の広告学研究会(以下・広研)の男子学生らによる“集団レイプ事件”が波紋を呼んでいる。その内容はあまりに鬼畜で、信じられないことに集団陵辱シーンをスマホで撮影し、実況中継もしていたというのだ。
「問題の動画は広研メンバーのほか、広研OB、マスコミ取材者も見た者がいる。こういった動画はネット上にアップされ、拡散するのが常だが、現時点では未確認。ただし、事件に関わったとされるメンバーの顔と名前はすでに出回っている」(夕刊紙記者)
そもそも、この事件発覚につながったのは10月4日に発表された「ミス慶応コンテスト」の中止だった。
「『ミス慶応』と言えば、元フジの中野美奈子、元TBSの青木裕子、テレ朝の竹内由恵アナ、日テレの鈴江奈々アナなど、過去に人気女子アナを輩出し“女子アナの登竜門”とされる有名イベント。社会に衝撃が走ったのはもちろん、毎年イベントを注目している女子アナマニアや、女子アナ志望の慶応の女子学生も落胆していたようです」(芸能ライター)
当初、大学側は中止理由を「複数の未成年の飲酒」と説明し、イベントの主催団体である広研の解散を命じた。しかし、その後、「ミス慶応」中止のウラに集団レイプ事件があるとの報道が相次ぐ事態に。被害届はすでに受理され、神奈川県警は本格的に捜査に乗り出している。
さて、これまでの報道などから判明した事件の概要を時系列で追ってみよう。

9月2日、被害者の女子学生Aさん(当時18)は広研メンバーに誘われ、神奈川県葉山町の“合宿所”に呼び出された。Aさんには8月から事件当日まで、LINEで「アトカタの手伝いぐらい来て」「さすがに今回は来て」と何度も連絡が入っていた。広研が夏に葉山で営業する海の家の後片付け(アトカタ)が表向きの理由だが、実際はAさんをレイプするための集まりだったのだ。
「Aさんが広研に関わったのは、入学時の新歓コンパ1回のみ。しかし、このとき広研メンバーにLINEのIDを教えてしまっていた。これまで何度もサークル活動に誘われていたAさんは、仕方なく葉山に向かったようなのです」(前出・夕刊紙記者)

合宿所にAさんが到着したのは18時半頃。夕食後、19時半頃から2階の部屋で飲み会が始まった。
このとき合宿所にいた男子学生は、Aさんを執拗に呼び出した主犯格の2年生Xに、1年生のYとZ。ほかに2年生と1年生の計5人だった。Aさんはあとで別の女子学生が合流すると思っていたが、来ることはなかった。
「彼らは“Aが飲むゲーム”と称し、『3秒で飲め!』などと命令してテキーラを何杯も飲ませたという。Aさんがもう飲めないと拒否すると、ショットグラスを無理やり口にもっていったそうです」(同)

20時半頃、広研の湘南藤沢キャンパス代表を務めるWが合宿所に到着。トランプを持ってくるように言われたAさんが1階に下り、ちょうど到着したWとともに2階に向かうと、部屋の雰囲気は一変していた。Aさんは5人が何かコソコソと相談するのに気づいたが、あとから来たWはすぐに一階に下りてしまう。
「危険を感じたAさんは1階に降りようとしたが、『酔っているから危ない』と連れ戻され、メンバーの1人がAさんを押し倒し、服を脱がせようとした。Aさんは、脱がされるのが嫌で力いっぱい抵抗していましたが、途中で意識を失い、気づいたときには下着まで脱がされていた」(同)

その後、1人が手足を押さえ、2人に性交させられた。このとき、写真動画を撮影され、最後に小便を顔にかけられたという。
「実際に暴行したのはYとZ。さらにXはその様子をスマホで撮影し、知人の慶大生にテレビ電話で実況中継までしていた。残り2人は傍観していたようです。Aさんの上にYが覆いかぶさり、ZがAさんの顔に性器を押し付けていた写真や、裸で仰向けになり目をつぶって横たわるAさんの傍らで、YとZが得意満面のポーズを取っている写真の存在が一部で報じられている」(右写真は「FRIDAY」より)

この動画を見た広研OBの証言によると「AVみたいな感じだった」という。
「AVの3P場面では、両手で一本ずつ男性器を握らせたり、1人が口に性器を咥えさせ、時にもう1人が後背位で挿入して腰を動かすなどのシーンが必ず展開する。被害者女性に放尿までやった男たちだけに、喜々としてAVの真似事をしていたはずです」(同)

翌朝、Aさんは合宿所を脱出して電車に乗ったが、気分が悪くなって駅の救護室に駆け込み、救急車で病院に搬送。駆けつけた母親に一部始終を打ち明け、事件が発覚した。
事件後、加害者グループは「合意のうえの性行為だった」と周囲に吹聴し、捜査当局にも“合意”をアピールするために動画を証拠提出しているという。
「酩酊したAさんが無抵抗だからといって“合意”の証拠にはならない。捜査当局は集団強姦致傷罪など、複数の容疑で立件を目指している」(全国紙社会部記者)

逮捕は時間の問題か。しかし何より、ネット上への動画拡散が危惧されるところだ。

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実行犯である理工学部の1年生2人と、“主犯格”とされる商学部2年生の3人に慶大では無期停学の処分がなされていて、犯行には参加しなかった残りの4人には叱責のみで済まされており、辻褄もあっており、この記事は週刊誌とはいえ、事実に基づいた極めて正確な内容でしょう。でも結局、不起訴になった。

同時期に騒がれていた千葉大生による事件はともかく、東大生の事件については女の子の方から沢山の男子学生のいる部屋に自ら泊りに来て、しかも女の子がイタズラはされてもレイプ自体はなかったというのに当事者学生たちは退学で有罪判決まで食らってる。しかし、この慶大生による事件は完全なる集団輪姦凌辱であるのに加え、撮影までしてそれをバラ撒くという、千葉大生による事件よりもはるかに凶悪であるというのに、当事者たちは退学にもならず、起訴すらされない。この慶大生たちは合意の上だということで、証拠としてビデオを警察にまで提出してるという。「ほら、この通り、アダルトビデオのように、こんなに気持ちよさそうにしてて、全然レイプとかじゃないでしょ」なんて言いながら。

読めばわかるとおり、ネットでは主犯の在日と噂されてる宋ナンチャラいう商学部の学生は、女子学生を呼び出して輪姦される模様を撮影していただけで、実行犯ではない。ヤクザのように厳格な親分子分の関係でもあれば別だが、学生間の関係でそこまで厳しい命令系統があったとするのは難しいと言えるし、良識さえあれば輪姦実行なんて拒否できたはずだ。これが起訴される事件になったとしても、実際に実刑喰らうのは明らかに実行犯たる二人だけであり、傍らで撮影していただけの者は執行猶予となる可能性が非常に高い。

それより、この商学部の学生が本当に在日で、実行犯たる理工学部の二人が日本人だというなら、朝鮮人の指令でこの日本人学生二人は日本女性をレイプしたということになる。私はそれが許せない。朝鮮人の手下として日本女性をレイプするようなクズ日本人は死刑でいい! (もっとも実行犯二人と被害者女子大生が日本人であることが前提であるが)
外国人の手先として日本人に対して悪事を働くような売国・反社会的なクズ日本人どもには、厳しい厳罰を課すことを法制化すべきだ!

戦前から教育勅語を教えていなかった慶應義塾

では、慶應義塾というところに論点を移そう。小学校にあたる慶應義塾幼稚部、そもそもここは戦前から陛下の教育勅語を蔑ろにしていた、非日本的、国賊的な学校だったのである(下はWikiより)。
慶應義塾幼稚舎
「幼稚舎」という名称であるが、小学校であり幼稚園ではない。幼稚舎出身の南博は旧制東京高校尋常科(後身校:東京大学)に入ったとき、修身の時間に教育勅語を暗誦できなかったため、「君は教育勅語を知らんのか、いったいどこの小学校からきた」と教師から怒られ、「慶應義塾の幼稚舎です」と答えたが、「幼稚園のことを訊いているのではない、小学校は何処だ」と怒鳴られたという。このようなエピソードからもわかるように、現在でも幼稚園であるとの誤解が多く、また、そう思い込む者も多い。

慶應義塾は、天皇陛下よりも福沢諭吉が偉いというイデオロギーに立っていて、慶應系列学校も慶大生卒業生で作る三田会も、長い間にわたって日本人の歴史や魂の存立基盤となっていた武士道や女大学、儒学や古事記よりも、お金が大事だという事実上の福澤教である(下は本事件を引き起こした、慶応大 広告学研究会メンバーたち)。
また、日教組とは何の関わりもないであろうが、慶應義塾では『君が代』が授業や入学式、卒業式で歌われることは小中高を通じて一度もありません。幼稚舎生の大半は日本の国歌が君が代であることすら知らないし、相撲の歌などと思ってる子も多いとか。日の丸もほとんど掲げられることはないし、それらに代わるものが慶応 三色旗であり、小学生に対しても「福澤諭吉ここにあり」という塾歌が徹底的に教え込まれます。

また中学にあたる三田の慶應義塾中等部(共学)は、オモテに出回ってる偏差値表では高くつけられていても、実際のところ、下は偏差値50ぐらいからでも入れる学校であるというのは、学習塾でもよく知られる話。入試の学力テストはかなり緩く合格できるのですが(湘南SFCも同じ)、その次の面接における競争率が何と3倍! 実際は、その面接で子供ではなく親が見られる(男子校である横浜の普通部の方は親の面接がなく学力重視とされてはいるが子供の面接はあるし、書類上で親のことを書くわけでやっぱり親が確実に重視されてると思います)。親がどういう仕事、地位にあるか、金持ちかなど、それで決まると言って過言ではないでしょう。だから逆に、入試でトップレベルの成績あげても面接で落ちる可能性は大いにあり得るわけです(学習塾の方々も実際そう言ってます)。これはつまり、この学校の学生の親御さんたちに有力者が沢山いればいるほど、他の卒業生達もが社会に出ていく時に有利に仕事に就けさせてもらえることにつながるからです。その上、強大なネットワークでこんな事件のモミ消しだって出来る。普通のサラリーマン、下層庶民でも入れることは確かにあるのだとは思いますが、親御さんにそのようなハイパーエリートが集まってるところに入るのは、庶民親にとっては大変な苦労が待ち受けてると思うし、実際いろんなところでお金もかかっていくでしょうし、入ったら入ったで相当きついと思います。でも、お金のある家なら、小中高校時から偏差値50でも一流大学に入れる道筋につながってるということで狙いどころではあるのかもしれない。
また、大学は別としても特に中高の学生達には、そういう上級国民とそうではない下層庶民の間の、事実上の学内カーストが生ずるようなので、そんなところで子供が苦労して自信を失ってもらわれても困ることでしょう。慶大は今や一番、就職のいい大学なんて言われてるけど(実際データで見ると確かにそうなのであろうが)、元々の権力者や実業家の子息が集まってるからそれなりの会社に入れてる人も多いってだけで、そうでない学生たちってのは慶大三田会のコネで一見よさそうな就職先につけても、実際はそういう上級国民の走狗としての使役が待ってるだけと考えるのが妥当なのではないかと思ってます。それでも仕事がないよりはずっとマシだし、実際、三田会の力は創価なんかよりも遥かに強いでしょうが……それはあくまで卒業生たちの繁栄のため、加えてグローバリストとしてということであって、そこに日本の正義や日本人全体の繁栄を目指すという観点は完全に欠落してることでしょう。仮に「日本」という言葉が出ても、日本こそ慶應であり、慶應こそ日本だというのがここの人たちの根底にあるのですから。

これだけの事件となったのにケジメもつかず不起訴となってうやむやにされてしまったのは、他大学の事件とも明らかにバランスを欠いており、この大学のダークな側面を露呈させたものとして、かえって将来にわたって汚点として刻まれていくことになるでしょうね。

尚、一橋大の創立者も福澤諭吉であり、この事件で慶応大のミスコンが潰れた代りに、早くも同年、それまではなかったのに突如、一橋大でミスコンが開催されるようになりました。このことからも慶大と一橋大はつながってるんです。国際金融勢力の喜ぶ過激な自由経済、派遣労働推進で日本をメチャクチャにした史上空前の売国奴大臣ともいえる竹中平蔵が一橋大を出て慶応大の教授に就いていたのも、その端的な表れ。
慶大や一橋大の福沢閥の人たちは、福沢諭吉のことを「福沢先生」と呼ぶので、すぐわかります。某カルト教団学会員の人々が「池田先生」と呼んで、すぐに信者だとわかるのと同じです。でも、創価なんかを批判するより慶応閥(一橋大含む福澤閥)を批判することの方が、はるかに勇気がいるというのが、実際のところではないでしょうか。

『混迷の地』 Land of Confusion - GENESIS (1986)
コチラで紹介のFGTHの『Two Tribes』と同系統、非常に政治性の強いビデオです。元々はコチラなどでも紹介ピーター・ガブリエル率いるプログレッシブロックバンドとして成功を収めたジェネシス。ガブリエルが抜けた後もフィル・コリンズの歌をフィーチャーしてポップ色が強くなって大人気に。この曲の収録されたアルバム『Invisible Touch』は最高のセールスを記録、この曲も大ヒット。レーガン米大統領夫妻らを当時、大人気だったパペット・シリーズ化して皮肉ったビデオ。

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(始めから)◆反シナ・反朝鮮というだけの短絡的なネトウヨがマンセーする、日本における拝金主義・フェミニズムの権化 福澤諭吉について

◆本物の“大和撫子”入門 〜 貝原益軒『和俗童子訓』【女子を教ゆる法】より

◆女が自分のため好き勝手やりだしたら、男にとって守るべきものも守るべき国もなくなってしまいます!

◆桜井誠氏が早稲田祭に呼ばれて、左翼やチョンの抗議で潰されたことについて思うこと

◆日本文化を売り込み!? (笑)(笑)(笑) 日本文化破壊の間違いだろ 〜 「クールジャパン戦略」なんてのは、腐れ映像音楽コンテンツ業界利権保守のための新たなるバラ撒き政策

◆日本人の歴史の血と骨であった仇討ちについて真剣に考えてみよう

◆「日本の妖怪が勝ったぞ!」、いやあ、昔の日本映画は本当に素晴らしい

◆30歳以下で女性が男性の収入を上回ったというショッキングな現実!〜 ついにここまで来たかって感じ

◆誇りある日本人の精神性復活のため、メスを入れるべき二つの条件 〜 パチンコと男女雇用機会均等法の廃止

◆小保方晴子(理研) STAP細胞論文不正事件についてヒトコト

◆売国企業はユニクロだけじゃない。言い始めればキリがないし、もっと現実を見なければなりません
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反シナ・反朝鮮というだけの短絡的なネトウヨがマンセーする、日本における拝金主義・フェミニズムの権化 福澤諭吉について

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(2012.12.4)
今日の記事は、ある人々にとっては衝撃的かもしれません。
けれども財界にも非常に強い影響力を持つ福澤諭吉(1835-1901)を唯一の師、先生とする某大学関係者でありながら、これを知らないとすれば問題だと思うし、耳の痛くなる驚くべき内容でしょうが、あの大学が福澤のDNAを引き継ぎ、彼のイデオロギー基盤を元に社会・政治活動を進めてるのだとすれば……学問を学んでもカネにならないなら意味がないなんて、そんな風に学生に教えることを是の一番とする学校であるのなら、もはや売国確信犯とも言えてしまいましょうぞ。

今の日本では福澤諭吉といわれても、ただ偉い人というイメージあるだけで、『学問のすゝめ』(詳しくは右画像クリック)という本を書いたことぐらい知っていても、福沢が具体的に何をやった人物であるのか答えられるという人はほとんどいないように感じます。福澤は政治家のように何か国への大きな功績があるわけでもないし、いわば福澤は一思想家にすぎないのですが、その福澤がこれほど日本で大きく扱われるようなっていて、実際に今の日本へ絶大な影響を与えている思想家であったところに大きな問題があります。そもそも福沢の思想には、“日本のルソー”とでもいうべき恐ろしいものが秘められているからです。

福澤諭吉『学問のすゝめ』(1880)の冒頭には、
「わが国の古事記は暗誦すれども今日の米の相場を知らざる者は、これを世の学問に暗き男と言うべし」
とあります。つまりこれは、古事記を暗誦出来る人より、コメの相場を知る人の方が偉いんだって福沢は言ってるわけで、“学問のススメ”というより“拝金主義のススメ”と言った方がいい。(右写真はイメージ)

この福沢の言葉を、フランス革命は金融勢力の陰謀とする“保守主義の父”バークの言葉「革命の主たる目標は、偉大な王国だったフランスを巨大なカジノに作りかえ、全国民をギャンブラーにすること」に当てはめれば福澤のポジションがお分かりでしょう。福沢が目指した方向とは、正にバークのフランス革命を評した言葉に見事にピッタリ当てはまります。

『学問のすすめ』では、さらにこう続きます。

『経書史類の奥義には達したれども、商売の法を心得て正しく取引をなすこと能わざる者は、これを帳合の学問に拙き人と言うべし。数年の辛苦をなめ、数百の執行金を費やして洋学は成業したれども、なおも一個私立の活計をなし得ざる者は、時勢の学問に疎き人なり。これらの人物は、ただこれを文字の問屋と言うべきのみ。
国のためには無用の長物、経済を妨ぐる食客と言うて可なり。』


つまり『学問のすすめ』では、いくら学問やった者でもカネに結びつかないなら意味がないと、しきりに主張されてるわけですが、いったいこれは、当時の状況を勘案として具体的には何を言いたいのか。
そのヒントとして、新渡戸稲造の『武士道』(1900)に、このようなことが書かれています。

『サムライは土地からその禄を得ていたし、もしその気があれば家庭菜園で農耕をすることもできた。だが銭勘定ごとと算盤(そろばん)は徹底して忌み嫌っていた。

モンテスキューは、貴族を商業から締めだすことは権力者に富を集中させないためのほめられるべき政策である、と明言した。

多くの清廉潔白なサムライたちには、手練手管を弄する下層階級の競争相手と伍して、抜け目なく商売をやっていく力がまったく欠落していた。商業や工業というなじみのない新しい分野で、彼らは取り返しのつかないくらいの大きな失敗をした』


この『武士道』の記述通り、明治維新後は数多くの武士たちが否応なく、このような“転職”を余儀なくされ、その多くは「武士の商法」と呼ばれ失敗しました。
つまり福沢は、そのような元サムライたちの失敗をあげつらい、忠義や君臣のような古い慣習だけにこだわる、銭勘定・金儲けすら出来ない武士や封建制度など国家の無用の長物にすぎず、役立たずのバカバカしい存在だと断じたわけです。

これらのことから、福沢諭吉の思想というものが、それまでのカネにこだわらない日本的で誇り高い武士道精神からすれば、如何に汚らわしく革命的なものであったか、おわかりのことでしょう。

しかも、それまでの献身的な日本女性育成のための女子教育規範とされた『女大学』までも、欧米的なフェミニズムと拝金主義にかぶれた福澤諭吉は男尊女卑・封建的だと断じ、『新女大学』なるものまで作って徹底的に否定してしまいます。
福沢は明治維新後、J.S.ミル の『婦人論』をはじめとする欧米諸国の女性解放思想をいちはやく日本に紹介、『女大学評論』 『新女大学』でも革命的な男女平等の自論を展開しました。つまり福沢諭吉は、日本にフェミニズムを輸入・紹介して、さらにそれを推し進めようとした最初の人物であるわけです。

加えて『学問のすゝめ』は、米国左派 現 民主党系のジェファーソン起草の独立宣言の訳「天は人の上に人を作らず」という極めて平等左翼的なメッセージで始まるのは周知の通り。
福沢諭吉は、正に日本における革命的な共産主義イデオロギーの教祖とも言えてしまうわけで、その功罪は非常に大きいのです。

さらに『女大学評論』(1899)では、江戸時代の女子教育指南書『女大学』や日本における総合教育学の始祖とされる貝原益軒がコキおろされ、その中身は、ヒステリー起こした女が屁理屈こねてギャンギャンまくし立ててるような内容が延々と続きます。あのフェミ学者 田嶋陽子が同じことをヒステリックに喚き立てたものと言われても、まるで違和感ないほど。
頭だけで考えたような小理屈ばかりクドクドとあり、「もうわかったよ」と言いたくなるような内容です。

そして『新女大学』(1899)には、こう記述されてます。
『正にこの機に乗じ決起して男尊女卑の陋習(ろうしゅう)を退治するに非ざれば、わが日本の国光に永く一大汚点を遺すの憾(うらみ)あらんとす。』(「女大学評論」序文 男 一太郎 謹記 より)

『しかるに男尊女卑の習慣は其由来久しく、習慣漸く人の性を成して、今日の婦人中(なか)、ややもすれば自から其権利を忘れて自から屈辱を忍んでついに自から苦しむ者多し。ただ憐む可きのみ。
されば今婦人をして婦人に至当なる権利を主張せしめ、以て男女対等の秩序を成すは、旧幕府の門閥制度を廃して立憲政体の明治政府を作りたるが如し。政治に於て此大事を断行しながら人事には断行す可らざるか、わが輩は其理由を見るに苦しむものなり。』


『元来、日本の婦人は婚姻の契約を無視せられて夫妻対等の権利を剥奪せられ、常に圧制の下に匍匐(ほふく)して男子に侮辱せらるゝ者なれば、人間の天性として心中不平なからんと欲するも得べからず。』

この通り福沢の頭の中は、日本は昔からずっと男尊女卑で、女は奴隷のような扱いを受け続け、常に被害者のような存在だったという、日本のフェミ・左翼の思考回路と全く同じ前提ありきなのです。

福沢の父は3歳で他界し、福沢は母子家庭育ちであるが、母子家庭育ちだと何かこう、概して理屈っぽくなりやすそうに思えてしまいます(もちろん全部そうなるわけではない)。
福沢には、威厳と存在感ある父親像のイメージがなかったから、心より頭でしか考えなくなるんだね。だから男と女は一対、二人で補いあって一つを作り上げるものであるということ、その大切さがわかっておらず、男と女を別個の二人の人間として捉えることしか出来ていない。

加えて、
『女子少しく成長すれば男子に等しく体育を専一とし、怪我せぬ限りは荒き事をも許して遊戯せしむ可し。』(「新女大学」序文より)

なんていう、まるで男と変わらず格闘技のような野蛮で危険なスポーツまで、女もどんどんやってしかるべきみたいな、現代のジェンダーフリー教育に通じる、女としての恥じらいや奥ゆかしさなんて欠片もない、野蛮な“(女子サッカー)なでしこジャパン”的なものさえ出現させる予感、それを推進させるべきであるかのような記述まであります。

そして『女大学評論・新女大学』(講談社)巻末の解説(林望)で、福沢はこんな風に評されてます。
『骨髄に徹したリベラリストであった福沢にとって、したがって、四民平等の西欧型市民社会は、一つの理想であり、そのスローガン「天は人の上に人を作らず、人の下に人を作らずといへり」ということを、家族や、男女の問題にまで及ぼせば、男尊女卑という弊風の清算は、生涯の大きな課題であった』

福沢の『女大学評論・新女大学』では、女が嫁に行くのも男が婿養子に入るのもまるで同じだと主張され、そして女らしさや男らしさの大切さなんて全く説かれておらず、男と女の役割意識や、異なった性質を備えもつ男と女の調和という概念がまるでないし、男も女も同じただ一人の別個の人間にすぎないという前提で一貫して論じられてるわけ。

つまり福沢諭吉は、完全に男女は同権・平等と主張する過激なリベラル左翼・フェミニストなんだってこと。福沢のイデオロギーポジションは当時の時勢により微妙に変わってますが、『女大学評論・新女大学』は晩年に書かれたものであり、なぜか福沢の女権拡張、フェミ・イデオロギー浸透にかける執念だけは凄まじいものがあったようです。

尚、明治民法の家族法の草案段階では、福沢の男女同等論に近いものだったようで福沢もそれを支持したのですが、士族系の反対があったため家父長制のものに書き換えられるという経緯がありました。
『新女大学』でも、福沢はもっと過激なフェミニズムを主張しようとしたところ、当時の士族の猛反発を喰らい、幾分抑えられて収められたようです。
元の内容は、「一度きりの人生だから、もっと自由に自分らしく、女としての人生を楽しもうよ」といった、今のフェミと同じ、それこそ完全に超リベラル、刹那主義的な人生観を女に植え付ける、ずっと過激なものだったのではないかと私は察してます。

今の日本における拝金主義、四民平等、男女平等、フェミニズム・・・これらはすべて福沢が提唱したものと同じであり、つまり、現代のいわゆる“日本革命”というものが引き起こされるにあたっての思想基盤は、すべて福沢諭吉のイデオロギーに同調しているわけ。堕落した現代日本の思想基盤はすべて福沢の思想に端を発してると言ってもいいくらい。
要するに、そのイデオロギー中身も知らず福沢諭吉なんかを軽々しくマンセーしてる人なんてのは、某金融勢力の手の平で踊らされてるだけ。

『脱亜論』にあるような福沢諭吉のシナ・朝鮮人叩きだけマンセーして、福沢のイデオロギーになんて無知なくせ、保守・愛国を気取って「さすが福沢諭吉!」なんて言ってる奴らがいるとするならピエロである。
あるいは福沢のイデオロギーを熟知していながら、「福沢先生スゲエ!」これを誇張して福沢を持ち上げてるのは明らかに確信犯たる、日本に拝金主義を持ち込みながら偽装右翼・エセ保守勢力をのさばらせ、ユダ金の手先として攪乱情報を発信し続けてる本尊であろう。
そしてネット上にもよくある、ユダヤだのイルミナティだの・・・明治維新は白人金融勢力に支配された層による革命で坂本龍馬はグラバーの使い走りだっただのの一面的な陰謀論を信じていながら、これに気づけてさえいないとするならただの“サル”である。

また、聖徳太子だった一万円札の肖像が福澤諭吉に替えられた(1984)直後に電電公社(現NTT)や国鉄(現JR)の民営化が立て続けに決行されました。以後、日本には拝金主義が蔓延りだし、一瞬のバブルの後、これまで見事に凋落の一途を辿ってます。
福澤がお札の顔になった1984年頃から日本でユダ金の支配が強まったっぽいわけで、一時のバブルから拝金主義に洗脳された日本人の凋落、これは偶然ではなく、金融勢力の露骨な日本侵攻はあの頃から始まり、紛れもなく福沢諭吉はユダ金・拝金主義者のシンボルとして利用されてます。
カネが好きな福沢だからこそ、一万円札の顔というのは非常にお似合いでもあるし、2004年の紙幣変更でも福沢だけ残されたのも、あっち側の意図するものを象徴してます。
(続く)

『リラックス』フランキー・ゴーズ・トゥ・ハリウッド(1983)
Relax (Body Double) - Frankie goes to hollywood

バンド名は「都へ出てきて堕落する」というニュアンスの慣用句的隠語に由来(詳しくは右画像クリック)。今世紀初頭にもレズビアンユニットとして大ブームを引き起こしたロシアのt.A.T.u.をヒットさせた、トレヴァー・ホーンの音楽プロデュース。ヴォーカルをはじめとするメンバーがゲイであることを公言、過激で性的な歌詞も話題となり、このバンドは一大センセーションを引き起こす。また冷戦期の米国 ロナルド・レーガン大統領とソ連 コンスタンティン・チェルネンコ書記長のそっくりさんが土俵上で殴り合いをする『トゥー・トライブス』のビデオも大変な話題となった。

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(続き)◆反シナ・反朝鮮というだけの短絡的なネトウヨがマンセーする、日本における拝金主義・フェミニズムの権化 福澤諭吉について

◆慶応大 広告学研究会 女子大生集団レイプ輪姦 凌辱撮影ビデオ バラ撒き事件の顛末 〜 続・エセ保守がマンセーの福沢諭吉

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反シナ・反朝鮮というだけの短絡的なネトウヨがマンセーする、日本における拝金主義・フェミニズムの権化 福澤諭吉について

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黒人にひれ伏し、英米とは日本国民一人残らず命を棄てて戦えと言う福澤諭吉

ここで福沢のシナ人への論評=「シナ人などの如く、我国より外に国なき如く、外国の人を見ればひとくちに夷荻々々(いてき)と唱え・・・」 (『福翁自伝』)を引用してますが、この文、実は次のように続きます。

『・・・理のためにはアフリカの黒奴にも恐れ入り、道のためにはイギリス、アメリカの軍艦をも恐れず、国の恥辱とありては日本国中の人民一人も残らず命を棄てて国の威光を落とさざるこそ、一国の自由独立と申すべきなり。』

この中の【日本国中の人民一人も残らず命を棄てて】という文言が非常に気になります。誰もが後の「一億総玉砕を!」を想起することでしょう。命を懸けてなら、まだ少しはわかります。道とか理とか国の恥辱とか一国の自由独立とか、日本人の好みそうな言葉が上っ面では使われていますが、(はなから)命を棄てて…… 戦時でもないのにちょっと勇ましすぎませんか。
要するに国のためなら、日本人全員死のうと別にええじゃないかと言ってるわけですが、全員が命を棄てたら国は失くなります。福澤の言う国ってのはなんなんでしょう。
伝統的な日本人の文化・価値観のような中身にこだわらない福沢のイデオロギーでは、たとえ日本が左翼国家、共産主義国家になっても、国の中身を問わずそれを守れと言ってるようにしか私は思えない。
それなのに、こんな風に命を棄てて国のため戦えとだけは、福沢は言ってる。しかし、これでは国のため死ねと言ってるだけで、何のため死ななきゃいけないのかまるでわからない。福沢の人の命に対するこの発想は、人を道具や肉の壁のようにしか扱わない典型的な旧ソ連型の左翼、これではソ連みたいな国で、ただ死んで来いと言われてるに等しいものにしか思えません。

少なくとも、軍の司令官が福沢と同じようなことを言うタイプだったら大変なことですよね(実際、戦中はそういう猪突猛進の指揮官も大勢いたわけですが)。私はそんなリーダーの元では命を懸けたくありません。命をつなぐための戦いではなく、自滅するための戦いにすぎないからです。

人権は、もちろん左翼の利権の温床になってますが、否定の仕方によっては、戦時の闇として、命が使い捨て消耗品のように扱われることになりかねません。
人が戦うのは本来、家族や子孫のためであるべきと私は思っています。
それなくして、いきなり国のために皆、死ねとなるのは、ここでも書いてますがソ連のような第二次世界大戦で最も命を粗末にした共産主義国家と同じになります。
また圧力による義務感より、まずは奉公・忠義心の美徳を育てるのが正しいやり方と思います。

上記『福翁自伝』文言と『脱亜論』をつなげば、福澤はつまり、こういうことを言ってることになります。
「朝鮮、シナとは縁を切る。そしてクロンボ(や他の有色人種には)にひれ伏すこともあれど、英米との対決では国民総玉砕をもいとわない」、これって完全に、「アジア解放のため」なんてうまくおだてあげて日本人をその気にさせて無謀な戦いに引きこみ、実は日本弱体化、滅亡を企む某勢力筋にとっていいこどだらけ。

「英米をも恐れず、一人残らず命を棄てて」、福澤のこの言葉は後の戦争の予言といえるほど大そうなものではないでしょう。アッチ側のエージェントでもあった福沢は、アチラさんからそういう話を暗に指し示されることもあったのでしょう。戦前(特に朝日新聞等)に「鬼畜米英!」と罵りながら、一億玉砕まで煽って戦争継続を主張していた勢力にもピッタリ重なってしまう。
しかしWW2戦前の実際の歴史は、福澤晩年に書かれた『福翁自伝』上記引用の言葉とは違い、福澤が没した1901年の何と翌年である1902年、日本は英国と同盟を結んで当時の覇権国であった英国側についたので、まだ日本は現実的な選択をすることで、日露戦争、第一次世界大戦と、うまく勝ち組となって日本は躍進、繁栄しました。英米と強力なコネクションを持つ高橋是清らが殺され(二・二六事件・1936)、石油も止められて(1940.7)英米と対決せざるを得なくなってしまうまでは。

日本に浅はかな戦争させ、日本人滅亡を図る勢力が当時から存在していたということ、留意しておくべきでしょう。そいつらは道とか理とかキレイな言葉を並べてくることがあろうことも。
福澤が1901年に没していなかったら、もしかしたら日英同盟もなく、もっと早く「鬼畜米英!一億総玉砕!」が声高々に叫ばれ、英米と対決することになっていたこともあったかも……しれませんね。

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(2012.12.5)   (始めから)
四民平等を唱えながらも、娘婿には士族出身でないと拒否
ルソーと同じく、早期教育を否定していながら、いち早く幼稚部を設置
金儲けだけはうまい、信念なき、ルソーと同じ“矛盾の人”


1874年(明治7年)に発足した慶應義塾幼稚舎では、1877年(明治10年)以降しばらくの間、男女を共に教育していました。これは近代以降の日本における、いち早い男女共学であり、希有なことでした。

福沢諭吉には4男5女の子供がいますが、自伝たる『福翁自伝』(1898・詳しくは右画像クリック)には、こんなことが書かれています。
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『福翁自伝』 より 「子供の教育法」
子供の教育法については、私はもっぱら身体の方を大事にして、幼少の時から強いて読書などさせない。まず獣身を成して後に人心を養うというのが私の主義であるから、生れて三歳五歳まではいろはの字も見せず、七、八歳にもなれば手習をさせたりさせなかったり、マダ読書はさせない。それまではただ暴れ次第に暴れさせて、ただ衣食にはよく気を付けてやり、また子供ながらも卑劣なことをしたり賤しい言葉を真似たりすればこれを咎めるのみ、その外は一切投げやりにして自由自在にしておくその有様は、犬猫の子を育てると変わることはない。すなわちこれがまず獣身を成すの法にして、幸いに犬猫のように成長して無事無病、八、九歳か十歳にもなればそこで初めて教育の門に入れて、本当に毎日、時を定めて修業をさせる。なおその時にも身体のことは決してなおざりにしない。
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早期教育の否定、幼少期の放ったらかしはルソーの主張と同じであり、福沢の教育理念にはルソーの強い影響が感じられるのに加え、子供の教育に“犬猫”とか“獣身”という言葉を使ってるところからして、あの人間獣化計画まで思い起こさせます。
しかも福沢は子供の早期教育を否定していながらも、実際は、いち早く自分の学校には幼稚部をちゃっかり設置するなど、その金儲けのうまさには特筆すべきものがあります。

福沢の本の詳細も知らずに短絡的に福沢をマンセーして保守派を自認してるなんてのは、ルソーの本の中身も知らず、一部の言葉だけ取り上げて、これこそ真の保守教育だなんて言ってるパッパラパーに同じ。さも日本的愛国者なんだとそのイデオロギーすり替えで福沢を持て囃す、アッチ側のマインド・コントロール工作の成果ともいえましょう。福澤のイデオロギー中身を知ってる確信犯は論外だが、無知だから許されるってものでもない。

フランス革命において、その思想基盤としてルソーのものが元になったのと同じように、今の拝金主義的な“日本革命”における思想基盤はすべて、福澤諭吉のものが元になっていると言うことができます。

福沢はさらに、上っ面では“四民平等”「人の上に人を作らず」と唱えながらも、次女 房の結婚相手となる士族出身でない男との縁談を、「娘の相手とするには身分が違う」と言うことで破談させたことがあります。こと自分のことになると、やっぱりそうなってしまうわけですね。結局、房の娘婿となったのは、甲斐の武田家に仕えていた家柄の岩崎家の桃助という人物ですが、その福沢桃介は後に巨万の富を蓄え、“電力王”とも呼ばれるようなったということで、なんか今の電力を巡る攻防を考えると意味深です (笑)。

戦前の福沢諭吉は本は売れていながらも、その存命中から民権論者やフェミニストの頭領のような存在に見なされていて大した評価されてなかったし、今のような神格化もなされてなかった。
対照的に、江戸時代の教育指南書『和俗童子訓』などを著した貝原益軒は、戦前までの教育では偉人として当時の教科書に何度も登場します。
福沢が評価されだしたのは戦後であり、特にその傾向が強まって、さも代表的なカリスマ日本人であるかのよう持ち上げられ、それを象徴するかのよう肖像が一万円札に採用されだしたのが1980年代半ばから。
福澤諭吉こそ、拝金主義蔓延による混乱する現代日本の象徴であり、1万円札で使用されてるのも、それを端的に示しているわけ。福沢のイデオロギーに現代日本人が無知であることを利用して、福沢なんかが代表的日本人であるかのよう勘違いさせるため、奴らにプロパガンダが図られてるにすぎない。

だから、ネット上に愛国保守を装って福沢諭吉なんかをマンセーする勢力がいることからしても、表のマスコミが煽ってるものに限らず、マスコミにはない、ネットで派手に煽られてるものについても、その逆を行かなければならないということ。奴らは当然、ネット上にも手は打ってあるのだから

福澤諭吉の『学問のすゝめ』(1872)は明治期に40万部以上売れたようで、現代なら人口比で100万部超のベストセラーに匹敵。また女権推進を奨める『女大学評論・新女大学』も以後の自由民権運動や女権拡張運動の隆盛に併せて五十版もの増刷が重ねられてます。この大ヒットは、今の左翼マスコミの作為的なヒット捏造と同じ、最初のアッチ側、日本史上初の左翼・金融勢力筋による話題作り、日本人に欧米かぶれ洗脳を施すための扇動仕掛け工作だったのではないかとさえ私は疑ってるよ。

過激なフェミ・左翼の福澤諭吉なんかをマンセーするアホなネトウヨを見て、左翼はニンマリ。フェミウヨともいうべき片山さつきや小池百合子なんかをやたら持ち上げてる発信源も、同じような筋なのでしょう。
また拝金主義・資本原理主義的な、かの小泉、竹中のような市場開放グローバル化全力推進の一派とも非常に相性が良さそうに感じます。ていうか、きっと福澤マンセーの発信源もこの筋に近いことでしょう。

加えて『学問のすゝめ』序文にあるシナ人についての論評から。
「シナ人などの如く、我国より外に国なき如く、外国の人を見ればひとくちに夷荻々々(いてき)と唱え、四足にて歩く畜類のようにこれを賤しめこれを嫌い、自国の力をも計らずして妄り(みだり)に外国人を追い払わんとし、却ってその夷狄に苦しめらるるなどの始末は、実に国の分限を知らず」(夷狄とは、未開の民や外国人、野蛮な民族を指す)

どうも、今の短絡的で排外的なだけの日本のネトウヨに向けて言ってるにも等しい内容に思えてなりませんが、こんなことまで言ってる福沢を、ましてや日本の排外主義者がマンセーしてるとするなら、サル、ピエロでしかありません。

日本にフェミニズムを輸入し拝金主義の権化ともいえる福沢諭吉なんかを、シナ・朝鮮叩きしてるというだけで短絡的にマンセーしてるネトウヨは、その無知蒙昧ぶりを曝け出してるといえましょう。
拝金主義、フェミニスト、平等論者、武士道精神の否定・・・福澤諭吉のような超リベラリストをマンセーしてる無知なネトウヨでしかないのなら、B層D層だの揶揄されても当然。そんなの左翼の思うツボ、ただの操り人形じゃん。

反朝鮮・反シナなんてだけで、到底、真の保守と言えるはずもありません。
軽々しく福澤諭吉なんてマンセーする前に、今も入手可能な『学問のすゝめ』や超強烈なフェミニズム啓発書『女大学評論・新女大学』とか読めばわかりますが、まともな保守層からすれば、福澤の思想書なんてとんでもない悪書だし、とても頭に入ってくる内容のものではないです。

坂本龍馬がユダ金(グラバー)の手先だったとか叩かれてるのはよく見るけど、ああいうのもどうでもいい方向へ陰謀論で誘導を図って攪乱、あっち側の工作にすぎないもの。
短絡的なネトウヨのシナ・朝鮮叩きに利用され、今や日本のおカネの顔にも成り上がり、拝金主義や平等・フェミニズムのイデオロギー基盤とされた福沢諭吉こそ、それこそユダ金・金融勢力の手先・筆頭だったと考えてしかるべき。ユダヤ陰謀論で坂本龍馬だのH・G・ウェルズだの、どうでもいいの叩いてるくらいなら、まずは福澤諭吉を叩けよ。

私は前から福沢諭吉が何となく好きになれませんでした。理由として、まずはあの顔です。これは冗談でなく、あの顔に嫌なものを感じるし、私は福沢の顔が嫌いです。これは私だけでなく、福沢の顔が、生理的だか直感的だかわからないけど、嫌いとか、気持ち悪いと感じてる人というのは、実は案外多いのではないかと思ってます。
要するにあの顔は理屈っぽい左翼の顔なんです。だから受け付けられないものがあったってこと。
あの気持ち悪い『こびとづかん』を意図的に流通させて子供に見慣れさせてしまえば、あんなのでさえ気持ち悪いと思わなくなってしまうわけで、それと同じく福沢の顔が日常的に誰もが使う紙幣に映っていれば、あの顔を見慣れさせてしまう効果を与えることになるのでしょうね (^^;

最後に、「シナ、朝鮮とは付き合うな」と書かれてるということで、福沢諭吉マンセーの元とされてる『脱亜論』について。
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『脱亜論』  (現代語訳)   (1885.3.16 時事新報)
日本の不幸は中国と朝鮮半島だ。
この二国の人々も日本人と同じく漢字文化圏に属し、同じ古典を共有しているが、
もともと人種的に異なるのか、教育に差があるのか、日本との精神的隔たりはあまりにも大きい。
情報がこれほど早く行き来する時代にあって、近代文明や国際法について知りながら、
過去に拘り続ける中国・朝鮮の精神は千年前と違わない。
この近代文明のパワーゲームの時代に、教育といえば儒教を言い、
しかもそれは表面だけの知識であって、現実面では科学的真理を軽んじる態度ばかりか、道徳的な退廃をももたらしており、たとえば国際的な紛争の場面でも
「悪いのはお前の方だ」と開き直って恥じることもない。
・・・
もはや、この二国が国際的な常識を身につけることを期待してはならない。
「東アジア共同体」の一員としてその繁栄に与ってくれるなどという幻想は捨てるべきである。
日本は、大陸や半島との関係を絶ち、先進国と共に進まなければならない。
ただ隣国だからという理由だけで特別な感情を持って接してはならない。
この二国に対しても、国際的な常識に従い、国際法に則って接すればよい。
悪友の悪事を見逃す者は、共に悪名を逃れ得ない。
私は気持ちにおいては「東アジア」の悪友と絶交するものである。
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『脱亜論』には、シナ・朝鮮が堕落したのは儒教のせいであるかのよう書かれてますが、よく読めば儒教本来の教えをこの『脱亜論』で福沢が否定したというところまでには至らないのですが、他の著作を読めばわかりますが、いずれにしろ福沢は儒教に否定的でした。

ただし福沢が『脱亜論』で言う、“儒教について表面だけの知識”というのは、俗にいう「論語読みの論語知らず」という言葉が示す意味と同じでありましょう。当時のシナ・朝鮮は既に、国・国民全体がそんな「論語読みの論語知らず」ともいうべき状況に陥ってると福沢は見なしたわけです。
つまり当時の朝鮮やシナにおいては、既に奥の深い儒教文化なんて形骸化し、中身の伴わないスッカラカンとなった退廃した精神しか残っていなかったという風に、『脱亜論』で福沢は言ってるわけです。

しかし、日本の武士道にもつながる忠義・奉公精神の拠り所とされたのが四書五経をはじめとする、それこそ儒教の教えが元でした。江戸時代までサムライの子女たちは必ず四書五経(詳しくは右画像クリック)を、現代のような解説書からでなく、原文の素読みによる読破で勉強させられていました。そして儒教の教えは日本の封建制度下においても脈々と守られ続けてきたし、当時の武士が最大の価値を置いたのはカネではなく、俗物を超越する忠義心などの崇高な精神が美徳とされました。

そして、この福沢諭吉の『脱亜論』を利用しての、よくある「朝鮮には手を出すな」なんて言葉をやたらマンセーしてるのには、偽装右翼勢力が多そうです。少なくとも発信源は極めてその可能性が高い。
日本が朝鮮・シナに全く手を出さないなら、それで喜ぶのは寧ろ朝鮮とシナの方です。日本がシナ・朝鮮に何も仕掛けないというなら、日本はこのまま負けてしまいます。そして現代の日本がやるべきは、領土侵攻でなく精神侵略でしょう。
あっち側(朝鮮の方)は日本に手を出しまくって、こっちはやられっぱなしで乗っ取られそうなのに、こっちには朝鮮に手を出すなと言ってるってことは、実は奴らが本当に守ろうとしてるのは日本ではなく朝鮮の方なのだと考えた方がいい。朝鮮系エセ右翼の方にこそ、この『脱亜論』の福沢の言葉は利用価値がある。

では、福澤諭吉の朝鮮人に対する実際の心象とはどういうものだったのか。『福翁自伝』に福澤の出身地たる中津藩(今の大分)の武士についての論評にこんな記述があります。
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【本藩に対してはその卑劣、朝鮮人の如し】  『福翁自伝』 より
日本国中の大名の家来は大抵みな同じことであろう。藩主から物を貰えば拝領と言って、これに返礼する気はない。馳走になれば御酒下されなんと言って、気の毒にも思わずただ有難いとお辞儀をするばかりで、その実は人間相互いの附き合いと思わぬから、金銭のことについてもまたその通りでなければならぬ。私が中津藩に対する筆法は、金の辞退どころかただ取ることばかり考えて、何でも構わぬ、取れるだけ取れという気で、一両でも十両でも旨く取り出せば、何だか猟に行って獲物のあったような心持がする。拝借と言って金を借りた以上はこっちのもので、返すという念は万々ない。かりそめにも自分の手に握れば、借りた金も貰った金も同じことで、後のことは少しも思わず、義理も廉恥もないその有様は、今の朝鮮人が金を貪ると何にも変わったことはない。嘘も付けば媚も献じ、散々なことをして、藩の物をただ取ろう取ろうとばかり考えていたのは可笑しい。
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福澤は、とにかく朝鮮人は金に目がない人種だと見なしてるようですが、朝鮮人に限らず日本のサムライだって、金を見ればただ貪ろうとする朝鮮人と変わりなく、それは中津藩に限らずサムライ全般に亘って皆こんな風に浅ましいもので、だから日本のサムライだってそんな大した存在ではないのだと言ってるわけで、サムライさえも貶めようとしてる意が見えるんですね。

福澤の『脱亜論』は、日本にそれまでの日本を捨てさせて近代化させることが第一義
その近代化・欧米化を、同じアジア隣国のシナ・朝鮮と共に目指そうというのでなく、
単に、シナ・朝鮮は見捨てて日本のみで目指そうと主張してるにすぎない


福澤が『脱亜論』を書いた背景には次のようなものがあります。
福澤は当時の朝鮮国内の開化派であった金玉均を支援したが失敗してしまいました。だから福澤には日本の近代化・西洋化を、朝鮮も混じえて一緒に推し進めていこうという目論見が当初はあって、その延長上に出来ればシナも一緒にというのが、福澤の眼中にあったのですが、福澤はそれは叶わぬことだと判断、見切りをつけたわけです。

だからこの『脱亜論』、福澤の頭の中では、とにかく日本はこれから近代化、西洋化を目指していかねばならないという命題ありきだったわけだけど、歴史的に古くから付き合いのあったシナや朝鮮と共にそれを目指そうなんて愚かなことは考えず、シナ・朝鮮と付き合っても足を引っ張られるだけなので、日本だけが今までの日本から生まれ変わっていこうという、単にそれだけの意図、視点から書かれたものにすぎません。
日本が“新しい日本”を目指していく上で、その後の国策ともされた“脱亜入欧”という言葉が示す通り、“脱亜”すなわち欧米化することで、それまでの日本的・封建的なものサムライ的なものを含め、日本の伝統・文化的な価値観など捨ててしまう方向へ持っていくために必要だとする“脱亜論”なのです。
当時の日本の“近代化”(あるいは合理化や欧米化)に近いイメージとしては、現代なら“グローバル化”という言葉がそれに匹敵するでしょう。要するに福澤諭吉という人物像は、「(現代日本で)何が何でもグローバル化」と考えてるような人をイメージすればわかりやすいでしょう。

要するに福澤諭吉の『脱亜論』には、日本が伝統・文化を守りながら、これからも日本が日本たりえるため、日本らしさを守りながら、それなりの近代化を図ろうといった、良識的な保守系知識人のような観点は完全に欠落してるということです。古き良き日本を捨て、それまでの日本を破壊するための“脱亜論”であって、言い換えれば“日本革命論”の一端にすぎず、日本を欧米的な社会とする“日本革命”を達成するための過激な“脱亜論”にすぎなかったのだということ。
『脱亜論』の一文を取り出して、福澤諭吉が愛国保守かのよう取り上げるなんてデタラメ、とんでもない欺瞞、詭弁といえます。仮に愛国左翼とはしても、到底、保守とはいえない。

福澤の視点というのは常に唯物的であり、そこには心が感じられません。カネに拘らなかったサムライや、いざとなれば命をかけて忠義を尽くすという、日本人が有していたそれまでの武士道精神の高尚性など、福澤には何も見えてなかったに等しいのだと思います。
むしろ福澤の頭の中は、そういう日本の古い封建的な価値観こそ日本の近代化を阻害し、人の自由まで侵害・束縛してしまう有害なものだという認識、思いでいっぱいだったのに違いありません。

福澤諭吉がおカネの代名詞にされてるのは、決して日本で一番偉大な人物だから一万円札の顔になってるというわけでなく(左翼やフェミニストにとってはそうかもしれないが)、福澤のイデオロギー中身を知るアッチ側の連中からすれば、福澤は大いに利用価値ある人物だということ。

福澤のイデオロギーは、とても日本的な真の保守と言える代物ではないよ。
福澤諭吉は、いわば日本におけるフェミニズムや短絡的なフェミウヨの教祖。

ここまで書いて、福澤諭吉のイデオロギーを知った上で、日本で保守派称して福澤なんかをマンセーする者がいるとするなら、もはやそやつは精神論なき、ただの拝金主義の奴隷たるエセ保守を自称してるにすぎない。福澤諭吉マンセーなんて、あっち側の手先と化してるも同然です。  (続く)

『トゥー・トライブス』フランキー・ゴーズ・トゥ・ハリウッド
Two Tribes - FRANKIE GOES TO HOLLYWOOD(1983)

昨日の『リラックス』に続いてフランキーの代表曲の一つ(詳しくは右画像クリック)。“Two Tribes”とは、二つの民族の意。当時の米ソ首脳、レーガンとチェルネンコのソックリさんの格闘シーンは今見てもおもしろい。過激なビデオが大変話題となり、英国では9週連続1位という大ヒットした反面、当人のいる米国ではいまいちヒットしませんでした。
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(続き)◆慶応大 広告学研究会 女子大生集団レイプ輪姦 凌辱撮影ビデオ バラ撒き事件の顛末 〜 続・エセ保守がマンセーの福沢諭吉

(始めから)◆反シナ・反朝鮮というだけの短絡的なネトウヨがマンセーする、日本における拝金主義・フェミニズムの権化 福澤諭吉について

◆左翼教育者が持ち上げる、フランス革命を引き起こしたルソーの人間獣化思想 〜 ルソー生誕300年で、日教組やPTA左派が暗躍中

◆要するにアリの世界 〜 男女共同参画だの左翼の社会ってのは

◆戦前の道徳教科書『修身』に見る加藤清正の武勇伝 〜 自虐史観の正反対から見る豊臣秀吉の朝鮮侵攻

◆仁・義・礼・智・忠・孝……五倫、四徳、五条、四端の心から道を修むる 〜 侍が学んだものを学び、偉大な先人たちと志を一にす

◆朝鮮人による朝鮮人叩き。いわゆる“在日認定”のカラクリ 〜 左翼による左翼叩きの目論見まで  ≪工作員入門≫

◆キチガイ講談社『たのしい幼稚園』付録の卑猥な最低デザイン 〜 最近の書店の子供向けコーナーから

◆反シナ性を利用して、チベット、ウイグル問題から保守層・保守系政治家を左翼に取り込むカラクリ

◆男の子が赤いランドセル背負ってるのってどうよ? 〜 男女観破壊、左翼イデオロギー刷り込みのベネッセCM

◆日本人なら『ねずみの嫁入り』の世界観を!〜 陰謀の黒幕を考えるのでなく全体として捉えられる感覚を持ちましょう

◆エセ保守 捏造ノスタルジーの映画『ALWAYS 三丁目の夕日』について

◆シナ人のモラル劣化より、日本人のモラル劣化の方が心配

◆ちょっと未来へ行って、家畜と化した人類を見てきました 〜 映画『タイム・マシン』 H・G・ウェルズ原作より
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